破れに立つモーセ ― 2017年04月30日
①彼(モーセ)が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、神罰はやんだ。 民数記16章48節
②それゆえ、神は、「彼らを滅ぼす」と言われた。もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか。 詩篇106篇23節
上記②詩篇106篇23節の脚注には、「出エジプト記32章10節」と書かれています。この出エジプト記32章は、アロンが民の声に負けて金の子牛を作ってしまう箇所です。この場面でもモーセは、確かに神さまの怒りの前でとりなしをしていますが、詩篇106篇の雰囲気からは、上記①の民数記16章のことを表現しているように感じます。
私たちは、このモーセの姿に感動すると共に、この「破れ」に完全な形で立たれたイエスさまを思い出し、さらにキリスト者と呼ばれる私たちにもこの役割が与えられていることを考えさせられます。
私たちのまわりには、今、どのような「破れ」があるでしょうか。「格差社会」ということばを良く聞きますが、「貧富の格差」「教育の格差」も一つの「破れ」でしょう。また世代間の「破れ」、隣接国との歴史認識での「破れ」もあります。それだけではありません。家族間にも介護のこと、子育てのこと、また最近では個食のことなど「破れ」があります。どんなに素晴らしい家が与えられていても、どんなに快適な生活空間が用意されていても、家族一人ひとりに罪があるからこそ、様々なところに、大小色々な「破れ」が生じます。
だからこそ私たちクリスチャンが、その「破れ」に立つ者として役割を果たしていく必要があります。今週も、日々の歩みの中で「破れ」に気付いたならば、そのためにとりなし祈る者として、また具体的に破れに立つ者としてしっかりとその役割を担っていきましょう。 (吉持日輪生)
②それゆえ、神は、「彼らを滅ぼす」と言われた。もし、神に選ばれた人モーセが、滅ぼそうとする激しい憤りを避けるために、御前の破れに立たなかったなら、どうなっていたことか。 詩篇106篇23節
上記②詩篇106篇23節の脚注には、「出エジプト記32章10節」と書かれています。この出エジプト記32章は、アロンが民の声に負けて金の子牛を作ってしまう箇所です。この場面でもモーセは、確かに神さまの怒りの前でとりなしをしていますが、詩篇106篇の雰囲気からは、上記①の民数記16章のことを表現しているように感じます。
私たちは、このモーセの姿に感動すると共に、この「破れ」に完全な形で立たれたイエスさまを思い出し、さらにキリスト者と呼ばれる私たちにもこの役割が与えられていることを考えさせられます。
私たちのまわりには、今、どのような「破れ」があるでしょうか。「格差社会」ということばを良く聞きますが、「貧富の格差」「教育の格差」も一つの「破れ」でしょう。また世代間の「破れ」、隣接国との歴史認識での「破れ」もあります。それだけではありません。家族間にも介護のこと、子育てのこと、また最近では個食のことなど「破れ」があります。どんなに素晴らしい家が与えられていても、どんなに快適な生活空間が用意されていても、家族一人ひとりに罪があるからこそ、様々なところに、大小色々な「破れ」が生じます。
だからこそ私たちクリスチャンが、その「破れ」に立つ者として役割を果たしていく必要があります。今週も、日々の歩みの中で「破れ」に気付いたならば、そのためにとりなし祈る者として、また具体的に破れに立つ者としてしっかりとその役割を担っていきましょう。 (吉持日輪生)
神さまの栄光を現わす一挙手一投足 ― 2017年04月23日
そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行うため、みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、これを行い、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。
民数記15章39~40節
上記聖書箇所冒頭にある「ふさ」は、紀元前約1500年頃、出エジプト時代の服装に関して言及している箇所です。そしてこの服装への指示は、この時代から約1500年後のイエスさまの時代、つまり福音書にも登場しています。
有名なところではマタイの福音書9章20節「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった」とあります。このことからイエスさまの服にも、ふさが付いていたことがわかります。マタイの福音書14章36節には「そして、せめて彼らに、(イエスさまの)着物のふさにでもさわらせてやってください」とあります。また律法学者、パリサイ人の服にもふさがあったことがわかるのは、マタイの福音書23章5節で「彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです」と記されています。
イエスさまの時代のふさは、さわるものであったり、見せびらかすものとなっていたようですが、もともとの意味は、上記にある通り「主のすべての命令を思い起こし、それを行うため」と書かれています。
それでは、私たちクリスチャンは、このことをどのように受け止めたら良いのでしょうか。私たちもそれぞれの服にふさを付けた方が良いのでしょうか。コリント人への手紙第一 10章31節にこのように書かれています。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」と。私たちは、それぞれの服にふさを付けてはいないけれども、日々の生活の一挙手一投足、行住坐臥、神さまの栄光を現わそうとしているならば、そのことを通して周りの人たちが、神さまのことを思い起こし、それを行おうとすることにつながるのではないでしょうか。今週も神さまの栄光を現わす一挙手一投足をもって日々歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)
民数記15章39~40節
上記聖書箇所冒頭にある「ふさ」は、紀元前約1500年頃、出エジプト時代の服装に関して言及している箇所です。そしてこの服装への指示は、この時代から約1500年後のイエスさまの時代、つまり福音書にも登場しています。
有名なところではマタイの福音書9章20節「すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった」とあります。このことからイエスさまの服にも、ふさが付いていたことがわかります。マタイの福音書14章36節には「そして、せめて彼らに、(イエスさまの)着物のふさにでもさわらせてやってください」とあります。また律法学者、パリサイ人の服にもふさがあったことがわかるのは、マタイの福音書23章5節で「彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです」と記されています。
イエスさまの時代のふさは、さわるものであったり、見せびらかすものとなっていたようですが、もともとの意味は、上記にある通り「主のすべての命令を思い起こし、それを行うため」と書かれています。
それでは、私たちクリスチャンは、このことをどのように受け止めたら良いのでしょうか。私たちもそれぞれの服にふさを付けた方が良いのでしょうか。コリント人への手紙第一 10章31節にこのように書かれています。「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」と。私たちは、それぞれの服にふさを付けてはいないけれども、日々の生活の一挙手一投足、行住坐臥、神さまの栄光を現わそうとしているならば、そのことを通して周りの人たちが、神さまのことを思い起こし、それを行おうとすることにつながるのではないでしょうか。今週も神さまの栄光を現わす一挙手一投足をもって日々歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)
赦されるためには・・・ ― 2017年04月16日
主は仰せられた。「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。」
民数記14章20節
民数記14章の内容は、盛りだくさんです。「大声をあげて叫び」「泣き明かし」(1節)、「つぶやき」「死んだほうがまし」(2節)、「エジプトに帰ろう」(4節)、「石で打ち殺そう」(10節)、「民はひどく悲しんだ」(39節)など。これらの表現を見て分かるように民数記14章には、様々な人間の感情、思いが言い表わされています。
そのような文脈の中で、ひときわ目を引く箇所があります。それは、モーセのとりなしに応えて神さまが言われた、上記聖書箇所、民数記14章20節「わたしはあなたのことばどおりに赦そう」です。
しかし、ここで神さまは「赦そう」と語られているのですが、その先を読むと「赦そう、しかし死ぬ」という内容です。
「この荒野であなたがたは死体となって倒れる」「二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ」(29節)、「あなたがたは死体となってこの荒野に倒れなければならない」(32節)、「この荒野で彼らはひとり残らず死ななければならない」(35節)、「こうして、その地をひどく悪く言いふらした者たちは、主の前に、疫病で死んだ」(37節)。このように神さまは「赦す」と言いながら、「その地をひどく悪く言いふらした者たち」を約束の地に入ることなく死へと至らせたのです。
先週、受難週を歩んできた私たちは、ここでの記述を通して「赦し」と「死」が密接につながっていることを思い起こさせられます。つまり民数記14章の「赦し」も、「(彼らの)死」と密接につながっているのでしょう。
しかし、今を生きている私たちは、「イエスさまの十字架での死」があるゆえに、それが私の罪の償いであると信じる時、その信仰のみで「赦される」のです。
今週も、「イエスさまの十字架での死」ゆえに「赦された者」として、しっかり歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)
民数記14章20節
民数記14章の内容は、盛りだくさんです。「大声をあげて叫び」「泣き明かし」(1節)、「つぶやき」「死んだほうがまし」(2節)、「エジプトに帰ろう」(4節)、「石で打ち殺そう」(10節)、「民はひどく悲しんだ」(39節)など。これらの表現を見て分かるように民数記14章には、様々な人間の感情、思いが言い表わされています。
そのような文脈の中で、ひときわ目を引く箇所があります。それは、モーセのとりなしに応えて神さまが言われた、上記聖書箇所、民数記14章20節「わたしはあなたのことばどおりに赦そう」です。
しかし、ここで神さまは「赦そう」と語られているのですが、その先を読むと「赦そう、しかし死ぬ」という内容です。
「この荒野であなたがたは死体となって倒れる」「二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ」(29節)、「あなたがたは死体となってこの荒野に倒れなければならない」(32節)、「この荒野で彼らはひとり残らず死ななければならない」(35節)、「こうして、その地をひどく悪く言いふらした者たちは、主の前に、疫病で死んだ」(37節)。このように神さまは「赦す」と言いながら、「その地をひどく悪く言いふらした者たち」を約束の地に入ることなく死へと至らせたのです。
先週、受難週を歩んできた私たちは、ここでの記述を通して「赦し」と「死」が密接につながっていることを思い起こさせられます。つまり民数記14章の「赦し」も、「(彼らの)死」と密接につながっているのでしょう。
しかし、今を生きている私たちは、「イエスさまの十字架での死」があるゆえに、それが私の罪の償いであると信じる時、その信仰のみで「赦される」のです。
今週も、「イエスさまの十字架での死」ゆえに「赦された者」として、しっかり歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)
現実を知ることと信じること ― 2017年04月09日

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」
民数記13章30節
民数記13章は、約束の地カナンに偵察隊を遣わすところです。各部族からひとりずつ選ばれ12名でカナンを探ります。
その範囲は、左図にある通り南部の「ツィンの荒野」から、北部の「レボ・ハマテ」までとなります。その移動直線距離は約420㎞。偵察日数は40日間(民数記13章25節)行われました。
偵察してきた12名の感想は、同じものではありませんでした。カレブは、冒頭で引用している通り「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」と言っているのに対して、他の偵察メンバーは31節を見ると、「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから」と主張しています。
さて私たちクリスチャンは、信仰を大切にしますが、ただ神さまを見上げ、聖書を読み、信仰で進めば良いのではありません。私たちも現実をしっかり見据え、現実の厳しさ、現実の難しさに目を留めながら、しかしだから「できない」と考えるのではなく、そこから信仰をもって「必ずできる」と一歩踏み出すのです。それが信仰です。
今週も、信仰者としてしっかりと現実に目を留めながら、どんなに厳しくても、どんなに難しくても、カレブのように「必ずできる」と神さまの前に信仰をもって一歩踏み出しましょう。 (吉持日輪生)
民数記13章30節
民数記13章は、約束の地カナンに偵察隊を遣わすところです。各部族からひとりずつ選ばれ12名でカナンを探ります。
その範囲は、左図にある通り南部の「ツィンの荒野」から、北部の「レボ・ハマテ」までとなります。その移動直線距離は約420㎞。偵察日数は40日間(民数記13章25節)行われました。
偵察してきた12名の感想は、同じものではありませんでした。カレブは、冒頭で引用している通り「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」と言っているのに対して、他の偵察メンバーは31節を見ると、「私たちはあの民のところに攻め上れない。あの民は私たちより強いから」と主張しています。
さて私たちクリスチャンは、信仰を大切にしますが、ただ神さまを見上げ、聖書を読み、信仰で進めば良いのではありません。私たちも現実をしっかり見据え、現実の厳しさ、現実の難しさに目を留めながら、しかしだから「できない」と考えるのではなく、そこから信仰をもって「必ずできる」と一歩踏み出すのです。それが信仰です。
今週も、信仰者としてしっかりと現実に目を留めながら、どんなに厳しくても、どんなに難しくても、カレブのように「必ずできる」と神さまの前に信仰をもって一歩踏み出しましょう。 (吉持日輪生)
非難する恐さ ― 2017年04月02日
そのとき、ミリヤムはアロンといっしょに、モーセがめとっていたクシュ人の女のことで彼を非難した。モーセがクシュ人の女をめとっていたからである。
民数記12章1節
上記冒頭の「ミリヤム」は、モーセとアロンの姉です。出エジプト記15章20節に「アロンの姉、女預言者ミリヤムは・・・」とある通りです。そしてこのミリヤムこそ、生後3カ月でナイル川に流されたモーセを、パロの娘が拾い上げた時、機転を利かして実母を紹介した人物でもあります。出エジプト記2章7~8節「そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。『あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか』。パロの娘が『そうしておくれ』と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た」と書かれている「その子の姉」「おとめ」はミリヤムのことです。
そのミリヤムは、女預言者と呼ばれ、また幼い時から機転の利く優秀な女性でしたが、ここではアロンと一緒になってモーセを非難し、さらにモーセのリーダーシップに対しても非難しています。民数記12章2節「彼らは言った。『主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。』主はこれを聞かれた」と。このミリヤムとアロンのモーセに対する非難を、神さまはどのように応えられたでしょうか。民数記12章8節b「なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか」と神さまは語られ、9節では「主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた」とあります。そしてその後、ミリヤムはツァラアトになってしまいます。それに対してアロンはあわててモーセに謝罪し、モーセもミリヤムのいやしを神さまに祈り、問題は終息します。また同じような出来事がサムエル記第一 8章7節にも記されています。王さまを求めるイスラエルの民に対して神さまが預言者サムエルに言っていることばですが、「主はサムエルに仰せられた。『この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから』」。つまりこの2つの出来事から教えられることは、モーセを非難することは、神さまを非難することであり、預言者サムエルを退けることは、神さまを退けることだということです。
今週も神さまが立てた権威を大切にしつつ、日々歩ませていただきましょう。
(吉持日輪生)
民数記12章1節
上記冒頭の「ミリヤム」は、モーセとアロンの姉です。出エジプト記15章20節に「アロンの姉、女預言者ミリヤムは・・・」とある通りです。そしてこのミリヤムこそ、生後3カ月でナイル川に流されたモーセを、パロの娘が拾い上げた時、機転を利かして実母を紹介した人物でもあります。出エジプト記2章7~8節「そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。『あなたに代わって、その子に乳を飲ませるため、私が行って、ヘブル女のうばを呼んでまいりましょうか』。パロの娘が『そうしておくれ』と言ったので、おとめは行って、その子の母を呼んで来た」と書かれている「その子の姉」「おとめ」はミリヤムのことです。
そのミリヤムは、女預言者と呼ばれ、また幼い時から機転の利く優秀な女性でしたが、ここではアロンと一緒になってモーセを非難し、さらにモーセのリーダーシップに対しても非難しています。民数記12章2節「彼らは言った。『主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。』主はこれを聞かれた」と。このミリヤムとアロンのモーセに対する非難を、神さまはどのように応えられたでしょうか。民数記12章8節b「なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか」と神さまは語られ、9節では「主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた」とあります。そしてその後、ミリヤムはツァラアトになってしまいます。それに対してアロンはあわててモーセに謝罪し、モーセもミリヤムのいやしを神さまに祈り、問題は終息します。また同じような出来事がサムエル記第一 8章7節にも記されています。王さまを求めるイスラエルの民に対して神さまが預言者サムエルに言っていることばですが、「主はサムエルに仰せられた。『この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから』」。つまりこの2つの出来事から教えられることは、モーセを非難することは、神さまを非難することであり、預言者サムエルを退けることは、神さまを退けることだということです。
今週も神さまが立てた権威を大切にしつつ、日々歩ませていただきましょう。
(吉持日輪生)
「今」との違い! ― 2017年03月26日
さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。
民数記11章1節
民数記11章は、いきなり「不平」「つぶやき」から始まります。上記の民数記11章1節に「さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた」とある通りです。そしてこの冒頭からの「不平」「つぶやき」を読みながら感じることは、民数記10章とのギャップです。民数記10章では「神さまがくださるしあわせの大きさ、豊かさ」が取り上げられていましたが、それがいきなり11章では「不平」「つぶやき」へと変わってしまっています。さらに民数記11章には、その後もイスラエルの民の「不平」「つぶやき」が、様々な表現をもって記されています。「民はモーセに向かってわめいた」(2節)、「ああ、肉が食べたい」(4節)、「それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた」(10節)などなど。
しかし、このような変化、展開に親しみを覚えるのも事実です。なぜなら私たちも「しあわせ」な日々を送りながら、一瞬にして「つぶやき」の日々へと変化してしまうからです。けれどもこの時代の人たちと私たちとの大きな違いは、イエスさまの十字架です。まだイエスさまの十字架が、なされていない民数記の時代は、つぶやく民に、神さまは激しく怒りを現わされています。「主はこれを聞いて怒りを燃やし」(1節)、「主の怒りは激しく燃え上がり」(10節)、「主の怒りが民に向かって燃え上がり」(33節)。
神さまは、今も「不平」に、そして「つぶやき」に、怒りを現わされるお方です。しかし私たちには、イエスさまの十字架があるゆえに、神さまの怒りを受けることから守られています。聖書にはこのように書かれています。ローマ8章34節「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」。
今週も、神さまの御前にあって「不平」「つぶやき」から遠く離れ、神さまを賛美し、神さまに感謝を献げつつ歩みましょう。(吉持日輪生)
民数記11章1節
民数記11章は、いきなり「不平」「つぶやき」から始まります。上記の民数記11章1節に「さて、民はひどく不平を鳴らして主につぶやいた」とある通りです。そしてこの冒頭からの「不平」「つぶやき」を読みながら感じることは、民数記10章とのギャップです。民数記10章では「神さまがくださるしあわせの大きさ、豊かさ」が取り上げられていましたが、それがいきなり11章では「不平」「つぶやき」へと変わってしまっています。さらに民数記11章には、その後もイスラエルの民の「不平」「つぶやき」が、様々な表現をもって記されています。「民はモーセに向かってわめいた」(2節)、「ああ、肉が食べたい」(4節)、「それぞれ自分の天幕の入口で泣くのを聞いた」(10節)などなど。
しかし、このような変化、展開に親しみを覚えるのも事実です。なぜなら私たちも「しあわせ」な日々を送りながら、一瞬にして「つぶやき」の日々へと変化してしまうからです。けれどもこの時代の人たちと私たちとの大きな違いは、イエスさまの十字架です。まだイエスさまの十字架が、なされていない民数記の時代は、つぶやく民に、神さまは激しく怒りを現わされています。「主はこれを聞いて怒りを燃やし」(1節)、「主の怒りは激しく燃え上がり」(10節)、「主の怒りが民に向かって燃え上がり」(33節)。
神さまは、今も「不平」に、そして「つぶやき」に、怒りを現わされるお方です。しかし私たちには、イエスさまの十字架があるゆえに、神さまの怒りを受けることから守られています。聖書にはこのように書かれています。ローマ8章34節「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」。
今週も、神さまの御前にあって「不平」「つぶやき」から遠く離れ、神さまを賛美し、神さまに感謝を献げつつ歩みましょう。(吉持日輪生)
神さまがくださるしあわせは大きい ― 2017年03月19日
さて、モーセは、彼のしゅうとミデヤン人レウエルの子ホバブに言った。「私たちは、主があなたがたに与えると言われた場所へ出発するところです。私たちといっしょに行きましょう。私たちはあなたをしあわせにします。主がイスラエルにしあわせを約束しておられるからです。」
彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の生まれ故郷に帰ります。」
そこでモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから。私たちといっしょに行ってくだされば、主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」 民数記10章29~32節
「ミデヤン人レウエル」この人を覚えているでしょうか。モーセが40歳の時、エジプトにおいて個人的な思いで始めた同胞イスラエル人救済の取り組みに失敗し、ミデヤンの地に逃れた時に出会った家族の長がレウエルでした(出エジプト記2章)。そしてモーセは、そのレウエルの娘と結婚し、子どもが与えられます。その後40年間、モーセはミデヤンの地でレウエル家族と一緒に住み、その地域を知るわけですが、その地とは、まさに出エジプトで旅をする地域でした。
しかし40年間、住み慣れた地域でも、モーセはレウエルの子ホバブに「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから」と助けを求めています。それと同時に、お世話になったレウエル家族に「主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです」と、神さまからのしあわせを受けてもらいたいとの思いも見うけられます。
「主が私たちに下さるしあわせ」は、小さなものではありません。イエスさまもこのように言われています。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」(マタイ10章42節)。
クリスチャンであるあなたと共に歩む家族のひとりひとりの上にも、神さまからのしあわせ(恵み)と報いがあることを信じて今週も歩みましょう。(吉持日輪生)
彼はモーセに答えた。「私は行きません。私の生まれ故郷に帰ります。」
そこでモーセは言った。「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから。私たちといっしょに行ってくだされば、主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです。」 民数記10章29~32節
「ミデヤン人レウエル」この人を覚えているでしょうか。モーセが40歳の時、エジプトにおいて個人的な思いで始めた同胞イスラエル人救済の取り組みに失敗し、ミデヤンの地に逃れた時に出会った家族の長がレウエルでした(出エジプト記2章)。そしてモーセは、そのレウエルの娘と結婚し、子どもが与えられます。その後40年間、モーセはミデヤンの地でレウエル家族と一緒に住み、その地域を知るわけですが、その地とは、まさに出エジプトで旅をする地域でした。
しかし40年間、住み慣れた地域でも、モーセはレウエルの子ホバブに「どうか私たちを見捨てないでください。あなたは、私たちが荒野のどこで宿営したらよいかご存じであり、私たちにとって目なのですから」と助けを求めています。それと同時に、お世話になったレウエル家族に「主が私たちに下さるしあわせを、あなたにもおわかちしたいのです」と、神さまからのしあわせを受けてもらいたいとの思いも見うけられます。
「主が私たちに下さるしあわせ」は、小さなものではありません。イエスさまもこのように言われています。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」(マタイ10章42節)。
クリスチャンであるあなたと共に歩む家族のひとりひとりの上にも、神さまからのしあわせ(恵み)と報いがあることを信じて今週も歩みましょう。(吉持日輪生)
おきては一つ ― 2017年03月12日
もし、あなたがたのところに異国人が在留していて、主に過越のいけにえをささげようとするなら、過越のいけにえのおきてと、その定めとに従ってささげなければならない。在留異国人にも、この国に生まれた者にも、あなたがたには、おきては一つである。
民数記9章14節
民数記9章は、1節に「エジプトの国を出て第二年目の第一月」とあり、強国エジプトから、また奴隷状態から解放されて1年が経ち、2年目に入る時のことが記されています。そしてイスラエルの人たちは、1年前に神さまから命じられた通り、出エジプトの出来事を思い返しつつ「過越のいけにえ」を献げるのですが、その中で問題が生じます。そのことが6節に記されています。6節「人の死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえをささげることができなかった人々」への対応問題です。それに関して、神さまはモーセを通して、1ヶ月後に献げれば良いとの答えを出され、この問題は解決しますが、それに付随して「在留異国人」と「在留異国人の子どもたち」の「過越のいけにえ」について14節以降触れられていきます。それに関しては、上記にある通りイスラエル人であろうと、異邦人であろうと「おきては一つ」と力強く神さまが答えておられます。
さて「出エジプト」の出来事は、イエス・キリストの十字架以降の信仰者にとっては、イエスさまの十字架による救いの「型(モデル)」として捉えることができます。つまり強国のような「罪の支配」、「罪の奴隷」から、イエスさまによって救い出されたことと重なるということです。そうするとこの「過越のいけにえ」は、私たちにとっての「聖餐」と重なることになるでしょう。
「おきては一つ」とあるように、イスラエル人が「過越のいけにえ」を大切にしていたように、私たちも「聖餐」を大切にし、また「聖餐」に与りながら、自らが「罪の支配」「罪の奴隷」からイエスさまによって解放されたことを喜ぶ時としましょう。また私たちも、出エジプトの出来事を思い返し、神さまの力強さ、そして必ず「約束の地(御国)」へと導いていただける希望を思い出しつつ、毎月第一主日の礼拝の中でもたれる「聖餐」を大切にしていきましょう。(吉持日輪生)
民数記9章14節
民数記9章は、1節に「エジプトの国を出て第二年目の第一月」とあり、強国エジプトから、また奴隷状態から解放されて1年が経ち、2年目に入る時のことが記されています。そしてイスラエルの人たちは、1年前に神さまから命じられた通り、出エジプトの出来事を思い返しつつ「過越のいけにえ」を献げるのですが、その中で問題が生じます。そのことが6節に記されています。6節「人の死体によって身を汚し、その日に過越のいけにえをささげることができなかった人々」への対応問題です。それに関して、神さまはモーセを通して、1ヶ月後に献げれば良いとの答えを出され、この問題は解決しますが、それに付随して「在留異国人」と「在留異国人の子どもたち」の「過越のいけにえ」について14節以降触れられていきます。それに関しては、上記にある通りイスラエル人であろうと、異邦人であろうと「おきては一つ」と力強く神さまが答えておられます。
さて「出エジプト」の出来事は、イエス・キリストの十字架以降の信仰者にとっては、イエスさまの十字架による救いの「型(モデル)」として捉えることができます。つまり強国のような「罪の支配」、「罪の奴隷」から、イエスさまによって救い出されたことと重なるということです。そうするとこの「過越のいけにえ」は、私たちにとっての「聖餐」と重なることになるでしょう。
「おきては一つ」とあるように、イスラエル人が「過越のいけにえ」を大切にしていたように、私たちも「聖餐」を大切にし、また「聖餐」に与りながら、自らが「罪の支配」「罪の奴隷」からイエスさまによって解放されたことを喜ぶ時としましょう。また私たちも、出エジプトの出来事を思い返し、神さまの力強さ、そして必ず「約束の地(御国)」へと導いていただける希望を思い出しつつ、毎月第一主日の礼拝の中でもたれる「聖餐」を大切にしていきましょう。(吉持日輪生)
聖書から学べること ― 2017年03月05日
あなたがレビ人をイスラエル人のうちから分けるなら、レビ人はわたしのものとなる。民数記8章14節
「レビ人はわたしのものとなる」(14節b)。このテーマは、民数記3章にも記されていました。しかし民数記3章では、「レビ人はわたしのもの」とあわせて「わたしが主である」が記されています。
民数記3章13節b「彼ら(レビ人)はわたしのものである。わたしは主である」。
民数記3章45節b「レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である」。
一方民数記8章では「レビ人はわたしのもの」と共に「わたしが主である」は登場せず、代わりに「奉献物」ということばが登場します。
民数記8章11節「アロンはレビ人を、イスラエル人からの奉献物として主の前にささげる」。
民数記8章13節b「彼ら(レビ人)を奉献物として主にささげる」。
民数記8章15節b「彼ら(レビ人)を奉献物としてささげなければならない」。
民数記8章21節b「そうしてアロンは彼ら(レビ人)を奉献物として主の前にささげた」。
この表現の違いに目を留めると民数記3章は、「献げられる側」神さまの視点が強調されていて、民数記8章は、「献げる側」、つまりイスラエル人の視点に重きが置かれているように感じます。
同じような表現の違いを新約聖書の中にも見ることができます。イエスさまは、マタイ22章21節bで「神のものは神に返しなさい」と言われ、また第2コリント9章7節aでは「(献金は)ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい」とあります。これらも前者は、「献げられる側」つまり神さまの側の表現で、後者は、「献げる側」私たちの側の表現と言えます。
私たちは、聖書を通して神さまの思いを知り、また聖書を通して神さまの前を歩む信仰者の姿勢を学びます。今週も、聖書を通して神さまの思いを知り、聖書を通して神さまの前を歩む信仰者の姿勢を学びつつ歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)
「レビ人はわたしのものとなる」(14節b)。このテーマは、民数記3章にも記されていました。しかし民数記3章では、「レビ人はわたしのもの」とあわせて「わたしが主である」が記されています。
民数記3章13節b「彼ら(レビ人)はわたしのものである。わたしは主である」。
民数記3章45節b「レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である」。
一方民数記8章では「レビ人はわたしのもの」と共に「わたしが主である」は登場せず、代わりに「奉献物」ということばが登場します。
民数記8章11節「アロンはレビ人を、イスラエル人からの奉献物として主の前にささげる」。
民数記8章13節b「彼ら(レビ人)を奉献物として主にささげる」。
民数記8章15節b「彼ら(レビ人)を奉献物としてささげなければならない」。
民数記8章21節b「そうしてアロンは彼ら(レビ人)を奉献物として主の前にささげた」。
この表現の違いに目を留めると民数記3章は、「献げられる側」神さまの視点が強調されていて、民数記8章は、「献げる側」、つまりイスラエル人の視点に重きが置かれているように感じます。
同じような表現の違いを新約聖書の中にも見ることができます。イエスさまは、マタイ22章21節bで「神のものは神に返しなさい」と言われ、また第2コリント9章7節aでは「(献金は)ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい」とあります。これらも前者は、「献げられる側」つまり神さまの側の表現で、後者は、「献げる側」私たちの側の表現と言えます。
私たちは、聖書を通して神さまの思いを知り、また聖書を通して神さまの前を歩む信仰者の姿勢を学びます。今週も、聖書を通して神さまの思いを知り、聖書を通して神さまの前を歩む信仰者の姿勢を学びつつ歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)
ささげ方とその分け方 ― 2017年02月26日
車二両と雄牛四頭をゲルション族にその奉仕に応じて与え、車四両と雄牛八頭をメラリ族に、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて与えた。しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。 民数記7章7~9節
民数記7章には、「祭壇奉献のささげ物」について記されています。その内容は、とても単調ですが、注目すべきテーマがあります。それは「ささげ方とその分け方」です。
7章2~9節には「部族の長たちで、登録を担当した者」のささげ物について記されています。その内容は「彼らはささげ物を主の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た」(民数記7章3節)。また7章10~83節には、「族長たちからのささげ物」について記されていますが、その内容は、ひとりひとり全く同じで、「銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭」です。これが族長ひとりのささげ物でした。このように「ささげ物」の内容は、ひとりひとり同じなのですが、その分け方には違いがありました。それが上記聖書箇所です。
「部族の長たちで、登録を担当した者」のささげ物は、全部で「おおいのある車六両と雄牛十二頭」でしたが、その分け方は「ゲルション族に車二両、雄牛四頭」「メラリ族に車四両と雄牛八頭」、そして「ケハテ族には何も与えなかった」とあります。その理由は、簡単に言うと「必要なかったから」ですが、違和感を覚えます。
これと同じ姿勢が、現在の教会にも受け継がれています。教会は、豊かな人や、ごく一部の人の献金で成り立っているのではなく、ひとりひとりの尊い献金によって営まれています。けれどもその分け方、使われ方は、まさに必要に応じてです。今日もあなたの尊い献金が、必要なところで用いられ、教会の働きが進められていきます。祈りつつ献げ、また献げたものが必要な所で用いられるように祈りましょう。(吉持日輪生)
民数記7章には、「祭壇奉献のささげ物」について記されています。その内容は、とても単調ですが、注目すべきテーマがあります。それは「ささげ方とその分け方」です。
7章2~9節には「部族の長たちで、登録を担当した者」のささげ物について記されています。その内容は「彼らはささげ物を主の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た」(民数記7章3節)。また7章10~83節には、「族長たちからのささげ物」について記されていますが、その内容は、ひとりひとり全く同じで、「銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭」です。これが族長ひとりのささげ物でした。このように「ささげ物」の内容は、ひとりひとり同じなのですが、その分け方には違いがありました。それが上記聖書箇所です。
「部族の長たちで、登録を担当した者」のささげ物は、全部で「おおいのある車六両と雄牛十二頭」でしたが、その分け方は「ゲルション族に車二両、雄牛四頭」「メラリ族に車四両と雄牛八頭」、そして「ケハテ族には何も与えなかった」とあります。その理由は、簡単に言うと「必要なかったから」ですが、違和感を覚えます。
これと同じ姿勢が、現在の教会にも受け継がれています。教会は、豊かな人や、ごく一部の人の献金で成り立っているのではなく、ひとりひとりの尊い献金によって営まれています。けれどもその分け方、使われ方は、まさに必要に応じてです。今日もあなたの尊い献金が、必要なところで用いられ、教会の働きが進められていきます。祈りつつ献げ、また献げたものが必要な所で用いられるように祈りましょう。(吉持日輪生)
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