聖書の神観、人間観2025年05月11日

主権と恐れは神のもの。神はその高い所で平和をつくられる。 
                         ヨブ記25章2節

まして、うじ虫でしかない人間、虫けらでしかない人の子はなおさらだ。
                         ヨブ記25章6節

 ヨブ記25章は、シュアハ人ビルダデの3回目の発言となります。その発言量は、冒頭で引用した25章2節~25章6節までと、とても短いものです。しかしその短いビルダデの発言から、彼の持っている「神観」「人間観」が見えてきます。
 まずビルダデが持っていた神観ですが、冒頭で引用した25章2節の後半で「神はその高い所で平和をつくられる」とあるように、「神さまは、高いところにおられる」という神観です。またビルダデの人間観は、冒頭で引用している25章6節に表れていて「うじ虫でしかない人間、虫けらでしかない人の子」のところです。彼の人間観は、「うじ虫」「虫けら」と書いてあるように、全く人間を評価していません。
 では聖書が教えている、聖書の神さまが教えている「神観」「人間観」とはどのようなものでしょうか。

彼らは思い出した。神が自分たちの岩であり いと高き神が自分たちを贖う方であることを。             
                         詩篇78篇35節

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。御子は罪のきよめを成し遂げ、いと高き所で、大いなる方の右の座に着かれました。         
                         へブル人への手紙1章3節

 このように神さまは高いところにおられるお方ですが、私たちと関わってくださり、私たちを贖い、罪からきよめ、とりなしていてくださいます。ビルダデは、部分的にはあっているのですが、高いところにおられる神さまが、低いところにいる人間と関わってくださること、また関わってくださるだけでなく、神さまにとって大切なひとり子を、私たちのためにこの世に送ってくださり、そのひとり子の十字架の贖いによって、罪をきよめ、神さまとの親しい交わり、永遠の交わりに加えてくださったところまでは理解できていませんでした。神さまが、私たちに「聖書」を与えてくださっていることを感謝しつつ、今週も、私たちのような者と親しくかかわってくださる神さまと共に歩みましょう。         (吉持日輪生)

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