「神さまの力」を信じる者になろう2022年09月11日

エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリアの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、エリシャは言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」               列王記第二 7章1~2節

 上記引用箇所の預言者エリシャと王の侍従とのやり取りは、列王記第二6章の後半を思い出すとうなずけます。

サマリアには大飢饉が起こっていて、また彼らが包囲していたので、ろばの頭一つが銀八十シェケルで売られ、鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルで売られるようになった。                     列王記第二 6章25節 

 さらに列王記第二6章26~29節には、大飢饉の中、自分の子どもを食べた話が記されています。そのような状況だったからこそ、王の侍従が、預言者エリシャのことばを信じることができず「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか」(2節)と答えたことは理解できます。
 まさにこの侍従は、状況を適切に見て、判断する能力を持っていましたが、しかし「神さまの力」を信じることができなかったのです。列王記第二7章を読み進めると、神さまは「町の門の入口にいた」「ツァラアトに冒された四人の人」(3節)を用いられ、また「アラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせ」(6節)、その中で「見よ。イスラエルの王が、ヒッタイト人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲って来る」(6節)と思わせ、アラムの軍勢を散らされました。
 その結果、預言者エリシャの預言通り「上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られた」(16節)のです。どんなに厳しい、困難な状況の中にあっても、私たちは「神さまの力」を信じる者として歩みましょう。
     (吉持日輪生)