「違い」を喜び、楽しむ2024年04月14日


全会衆の合計は四万二千三百六十人であった。
                  エズラ記2章64節

 冒頭の引用個所にはっきりと「全会衆の合計は42,360人」と記されています。しかしエズラ記2章に記されている人数の合計を出すと「29,818人」にしかならないようです。そこには「12,542人」の差が生じています。
 注解書によると、このような差は、エズラ記の次のネヘミヤ記にもあるようですが、写本のプロセスの中で生じた写し間違い、写し忘れなどの可能性もあるようです。けれども聖書を写本する方々が、適当に写本をしていたわけではありません。そのことが証ししてくれるのも、この数字の差です。数字を足し算すれば、「42,360人」にならないことはわかっていても、彼らはその間違いを、そのまま書き写し続けたのです。そこには「聖書を神のことば」として堅く信じている彼らの信仰が現れています。
 さてエズラ記2章に記されている「数字」から私たちは、何を学ぶことができるのでしょうか。それは「違い」です。最小の数字は「アズマウェテ人、42人」(24節)。一方最高の数字は「セナア人、3630人」(35節)です。また「族(ぞく)」で記されているグループもあれば、「人(じん)」で紹介されているグループ、「人々」で紹介されているグループもあります。また役割の違いも記されています。「祭司」(36節)、「歌い手」(41節)、「門衛の人々」(42節)、「宮のしもべたち」(43節)などです。さらに59節には「自分たちの先祖の家系と血統がイスラエル人であったかどうかを証明できなかった」人たちのことも記されています。そして何よりも大きな違い、明確な違いは、それぞれの「名前」です。
 神さまは、これらの多種多様な違いのある人たちを、「神殿再建」のために呼び集め、エルサレムとユダに帰されたのです。
 さて、私たちも茨木聖書教会に、様々な「違い」がある者として呼び集められています。そして、その「違い」を通して神さまは、この地に「キリストのからだなる教会を建て上げ」ようとされています。今週も、主にあって「違い」を喜び、楽しみ、共に「キリストのからだなる教会を建て上げて」いきましょう。(吉持日輪生)

「エズラ記」概略2024年04月07日

ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。                 
                  エズラ記1章1節

 冒頭に引用した聖書の言葉は、実は先週取り上げた歴代誌第二36章22節と全く重なります。

ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。              
                  歴代誌第二36章22節

 このように全く同じです。つまりエズラ記は、書巻名としては、漢字の「歴代誌」からカタカナの「エズラ記」に大きく変化しますが、内容的には歴代誌第二の続きが記されています。
 もう一つ「エズラ記」の特徴は、書巻名の「エズラ」という人物がなかなか登場しないことです。「エズラ」が登場するのは、7章からです。エズラ記が全部で10章ですので、残り3章のところでの登場は、やはり遅い登場と言えます。そのエズラは、7章では、まず祭司アロンの家系であることが紹介され、さらにエズラ記7章11節では「祭司であり学者であったエズラ」、7章12節では「天の神の律法の学者である祭司エズラ」とも紹介されています。
 エズラ記は、1章~6章までが「神殿再建」、そして祭司エズラの登場と共に始められたのが「律法再建」でした。この「神殿再建」と「律法再建」を、私なりの今日的な教会用語で言い換えるならば、「礼拝再建」と「信仰再建」でしょうか。
 新年度が始まりましたが、私たちは今年度も、共に祈り、共に力を合わせ、「礼拝」を整え、「信仰」を建て上げていく歩みを進めていきましょう。   (吉持日輪生)

私はどうだろうか2024年03月31日

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにしたので、ついに主の激しい憤りが民に対して燃え上がり、もはや癒やされることがないまでになった。
                   歴代誌第二36章15~16節

 今回で歴代誌第二を読み終えますが、歴代誌第二最後の36章には、どのようなことが記されていたでしょうか。歴代誌第二30章のヒゼキヤ王の改革、そして先週取り上げた歴代誌第二34章のヨシヤ王の改革がなされ、良い感じになりつつあったユダとイスラエルですが、歴代誌第二36章は、「主の目に悪であることを行った」(5節)、「彼は主の目に悪であることを行った」(9節)、「彼はその神、主の目に悪であることを行い、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった」(12節)、「そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の忌み嫌うべきすべての慣わしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した」(14節)と、どの王様もひどい状況だったことが記されています。
 そのような状況の中、神さまはあきれて何もしなかったのではありません。冒頭引用個所に記されている通り「主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされ」ていました。しかし、ユダとイスラエルの人たちの対応は「神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにした」とあります。
 これらの出来事は、今から数千年前の人たちの姿ですが、今を生きている私たちにも当てはまります。同じです。神さまは、あわれみをもって今も、私たちが自らの罪に、間違いに気付くように様々な出来事を通して、また聖書の言葉を通して、またクリスチャンや、クリスチャンでない方々の言葉を通して語りかけています。神さまは、私たちの心に「たびたび使者を遣わして」くださっているのです。私たちは、そのような「使者」にどのように向き合っているでしょうか。侮っていないでしょうか。蔑んでいないでしょうか。笑いものにしていないでしょうか。
 今週も、神さまは、今を生きている私たちに、間違いを、罪を、そして何よりも神さまの愛に気付いてもらいたいからこそ、様々な使者を届けてくださっています。その一つ一つをしっかり受け止めることができるように、祈りつつ、心を目を、心の耳を研ぎ澄まして歩みましょう。               (吉持日輪生)

成長させてくださる神さま2024年03月24日

さて、ヨシヤはエルサレムで主に過越のいけにえを献げた。人々は第一の月の十四日に過越のいけにえを屠った。彼は祭司たちをその任務に就かせ、彼らを力づけて、主の宮の奉仕に当たらせた。            
                   歴代誌第二 35章1~2節

 先週取り上げた歴代誌第二34章に記されていた通り、ヨシヤ王の改革は、「高き所の排除」「宮の修理」と進められていきました。そして歴代誌第二35章では、上記聖書個所に記されている通り「過越のいけにえ」を献げています。少し前にも同じような記述があったことを思い出し、振り返ると歴代誌第二30章に記されていたヒゼキヤ王でした。
 ヒゼキヤ王は、ヨシヤ王より2代前の王様で、これはヨシヤ王の時代より約70年前くらいの出来事です。その時は、「身を聖別した祭司たちが十分な数に達していなかった」ため、第一の月ではなく、第二の月に「過越のいけにえ」を献げたと記されています。けれどもヨシヤ王の時は、「第一の月の十四日に過越のいけにえを献げた」と記されています。もう一つの違いは、祭りの期間と献げもの数です。ヒゼキヤ王は、七日間にさらに七日間祭りを行っていますが、ヨシヤ王は律法の書に記されている通り七日間でした。献げものの数は、ヒゼキヤ王の時は、「千頭の雄牛」「七千匹の羊」、高官たちも「千頭の雄牛」「一万匹の羊」を会衆に提供しています(歴代誌第二30章24節)。一方ヨシヤ王は「三万匹の子羊とやぎの子」「三千頭の牛」を提供しています。それ以外に王の高官たち、神の宮のつかさたち、ヒルキヤ、ゼカリヤ、エヒエルが「二千六百匹の羊」「三百頭の牛」、さらにレビ人の長たち「五千匹の羊」「五百頭の牛」を提供しています(歴代誌第二35章8~9節)。
 ヒゼキヤ王の時代から約70年後のヨシヤ王の時代の「過越のいけにえ」は、提供する人たちの数も、またいけにえの数も圧倒的に増えています。そこに神さまからの祝福によって整えられ、祝福されているイスラエルの歩みを感じます。

ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。                   コリント人への手紙第一 3章7節

今週も、成長させてくださる神さまに、私たちの成長を祈り求めましょう。(吉持日輪生)

「神のことば」を若い世代で2024年03月17日

彼(ヨシヤ王)の治世の第八年、まだ若いころに、彼は父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年にユダとエルサレムをきよめて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および鋳像を除き始めた。             
                       歴代誌第二34章3節

 ヨシヤ王は、1節で「八歳で王となり」とありますので、上記聖書個所の「治世の第八年」とは、ヨシヤ王16歳の時となります。ヨシヤ王は、「まだ若い」16歳のころに「父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年に」、つまりヨシヤ王20歳の時に「ユダとエルサレムをきよめて、高き所、…を除き始め」ました。
 このようなヨシヤ王の取り組みは続けられ、「その(ヨシヤ王の)治世十八年に」、つまりヨシヤ王26歳の時に、宮の修理も始めます。その宮の修理を進めていく中で、「モーセを通して示された主の律法の書を見つけ」、祭司ヒルキヤは、その書物を書記シャファンに渡します。書記シャファンはその書物を王の前で朗読し、その「書物のことば」を聞いたヨシヤ王は、「自分の衣を引き裂き」、心を痛めへりくだります。

あなたがこの場所とその住民について神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛めて神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を引き裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる──主のことば──。
                          歴代誌第二34章27節

 上記聖書個所にある通り、「神のことばを聞いたとき」、ヨシヤ王は「心を痛め」「へりくだり」「自分の衣を引き裂き」「泣いた」とあります。そしてその後、この「契約の書のことばをすべて彼ら(ユダのすべての人々、エルサレムの住民、祭司とレビ人、上の者から下の者まで、すべての民)に読み聞かせ」ます。その応答として民は神さまの前に「契約のことばを行うことを誓い」「神の契約にしたがって行動」しました。
 ヨシヤ王の素直な「神のことば」に対する反応は、ヨシヤ王個人に影響を与えるだけでなく、当時の人たち全体に影響を及ぼしています。「神のことば」の力強さを教えられます。
 ヨシヤ王は、この力強い「神のことば」に若い頃から触れることができました。私たちも、今を生きている若い世代に、この「神のことば」をしっかり響かせ、届けていきましょう。     (吉持日輪生)

主こそ神であることを知る2024年03月10日

マナセは十二歳で王となり、エルサレムで五十五年間、王であった。
                           歴代誌第二33章1節

 素晴らしい改革を行ったヒゼキヤ王の息子マナセ王は、「エルサレムで55年間、王であった」と上記聖書箇所に記されている通り、南王国(ユダ)最長在任期間の王となっています。しかも「12歳で王となり」、「67歳(12+55)」まで王さまであったことになります。この年齢も68歳まで王であったウジヤ王に次ぐ数字です。しかし、マナセ王の歩みは、父ヒゼキヤ王とは違い「主の目に悪であることを行う」ものでした。

彼は、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねて、主の目に悪であることを行った。そして、父ヒゼキヤが取り壊した高き所を築き直し、バアルのためにいくつもの祭壇を築き、アシェラ像を造った。また、彼は天の万象を拝んでこれに仕えた。        
                      歴代誌第二33章2~3節

 けれども父ヒゼキヤ王の良いものも受け継いでいました。そのことがこのように記されています。

しかし、彼は苦しみの中で彼の神、主に嘆願し、父祖の神の前に大いにへりくだり、神に祈ったので、神は彼の願いを聞き入れ、その切なる求めを聞いて、彼をエルサレムの彼の王国に戻された。こうしてマナセは、主こそ神であることを知った。
                      歴代誌第二33章12~13節

 苦しみを通してへりくだり「主こそ神であることを知った」マナセ王の取り組みは一変します。

また彼は、主の宮から異国の神々と偶像、および、主の宮のある山とエルサレムに自分が築いたすべての祭壇を取り除き、町の外に投げ捨てた。そして、主の祭壇を築き直し、その上で交わりのいけにえと感謝のいけにえを献げ、ユダに命じて、イスラエルの神、主に仕えさせた。        
                     歴代誌第二33章15~16節

 このマナセ王の変化から「主こそ神であることを知ること」の大切さを教えられます。
今週も「主こそ神であることを知る」日々を歩みましょう。    (吉持日輪生)

祈る人、へりくだる者2024年03月03日

これらの真実なことが行われた後、アッシリアの王センナケリブが来てユダに入り、城壁のある町々に対して陣を敷いた。それらを攻め取ろうと考えたのである。
                           歴代誌第二32章1節

 歴代誌第二30章、31章でヒゼキヤ王が取り組んだことを、上記引用個所では「これらの真実なこと」と表現しています。その通り、ヒゼキヤ王は真実なことを行う人でした。しかし、そのように「真実なこと」を次々と行ったヒゼキヤ王でしたが、彼の身に、彼の内に様々なことが起こります。
 冒頭引用個所後半には、アッシリアの王センナケリブからの攻撃に直面します。その時、ヒゼキヤ王が取った行動は以下の通りでした。

ヒゼキヤ王と、アモツの子、預言者イザヤは、このことについて祈り、天に叫び求めた。                       歴代誌第二32章20節

 その後、今度は「ヒゼキヤ王が病気になって死にかかり」(24節)とありますが、その時もヒゼキヤ王は祈ります。

そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。彼が主に祈ったとき、主は彼に答え、しるしを与えられた。           歴代誌第二32章24節

 またさらにヒゼキヤ王が、神さまの恵みでいやされたにもかかわらず、その恵みに応えようとしないため、御怒りがユダとエルサレムに下ろうとした時は、

しかし、ヒゼキヤがその心の高ぶりを捨ててへりくだり、彼もエルサレムの住民もそうしたので、主の御怒りは、ヒゼキヤの時代には彼らの上に臨まなかった。
                          歴代誌第二32章26節

 ヒゼキヤ王は、「真実なこと」を行う人であり、祈りの人であり、へりくだる人だったことが伝わってきます。私たちも今週、「真実なこと」を行う人として、祈る人として、へりくだる者として歩みましょう。           (吉持日輪生)

改革と回復2024年02月25日

ヒゼキヤは祭司とレビ人の組を定め、祭司とレビ人それぞれの組ごとに、その奉仕にしたがって全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げさせ、さらに、主の宿営の門で仕え、告白し、賛美させた。
                         歴代誌第二 31章2節

 先週取り扱った歴代誌第二30章で「過越のいけにえ」を再開させたヒゼキヤ王は、その後も改革を進めます。歴代誌第二31章1節には「石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し…高き所と祭壇を徹底的に壊した」と書かれている通りです。
 そしてさらに大きな改革は、祭司とレビ人の奉仕の回復でした。それは冒頭で引用した聖書箇所にある通り、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ」る奉仕、「主の宿営の門で仕え、告白し、賛美」する奉仕の回復も進めています。
 ヒゼキヤ王は、改革を進めるだけでなく、自ら率先して自分の財産から「ささげ物」をしています。

また王は、全焼のささげ物のために、自分の財産から自分の分を出した。すなわち、主の律法に記されているとおりに、朝夕の全焼のささげ物、また安息日、新月の祭り、例祭ごとに献げる全焼のささげ物をした。      歴代誌第二 31章3節
 
 さらにその「ささげ物」の回復を通して、ヒゼキヤ王が進めたことは、次のことでした。

さらに彼は、エルサレムに住む民に対して、祭司とレビ人の受ける分を与えるように命じた。祭司とレビ人が主の律法に専念するためであった。
     歴代誌第二 31章4節

 「祭司とレビ人が主の律法に専念するため」の改革も進めました。その「祭司とレビ人」が専念した働きは、冒頭で引用した「全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ」る奉仕、「主の宿営の門で仕え、告白し、賛美」する奉仕です。
 プロテスタントの流れにある私たちの教会は、「万人祭司」という理解に立つからこそ、私たちクリスチャン一人ひとりも、「改革と回復」を繰り返しつつ、祭司としての務めを、担いつつ歩みましょう。              (吉持日輪生)

原点に立ち返ることの大切さ2024年02月18日

こうして、ユダの全会衆、祭司とレビ人、イスラエルから来た全会衆、イスラエルの地から来た寄留者でユダに在住している者たちは、みな喜んだ。エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代以来、エルサレムでこのようなことはなかったからである。   歴代誌第二 30章25~26節

 ここには、「喜んだ」(25節)、また「大きな喜びがあった」(26節)と、イスラエルの民が喜んでいる姿が記されています。
 その「喜び」「大きな喜び」はどのような状況の中起こったのでしょうか。
9節に「あなたがたの兄弟や子たちは、彼らを捕虜にした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう」とあるように、多くの人たちが捕虜となり、異国の地に連れて行かれていた時代です。そのため下記のような状況も生じていました。

というのは、身を聖別した祭司たちが十分な数に達しておらず、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには献げることができなかったからである。
                           歴代誌第二 30章3節

 このように「身を聖別した祭司たち」の不足、「民もエルサレムに集まっていなかった」とあるように、人がいませんでした。それほどに多くのイスラエル人が「捕虜」として連れて行かれていたのでしょう。
 そのような状況の中、ヒゼキヤ王は「過越のいけにえ」を献げることを呼びかけます。「過越」とは、出エジプト記12章に記されているイスラエルが奴隷となっていたエジプトから脱出できたことを記念するお祭りです。
 神さまは、このような思いをヒゼキヤ王に与え、ヒゼキヤ王もそれを実行します。その結果、人々の心が一つにされました。

また、ユダには神の御手が臨んで、人々の心を一つにし、主のことばどおり、王とその高官たちの命令が実行された。          歴代誌第二 30章12節

 私たちも、原点に立ち返り、神さまに私たちの「心を一つ」にしていただきましょう。                             (吉持日輪生)

様々な「ささげ物」2024年02月11日

そこで、彼らは中に入り、ヒゼキヤ王のところに行って言った。「私たちは主の宮をすべてきよめました。全焼のささげ物の祭壇とそのすべての用具、並べ供えるパンの机とそのすべての備品をきよめました。       
                      歴代誌第二29章18節

 「主の宮」の修理が完了した後、ヒゼキヤ王は様々ないけにえを献げています。その「ささげ物」の名前に注目しましょう。
 まず最初に登場するのが「罪のきよめのささげ物」(21節)。その後は「全焼のささげ物」(24節)、「感謝のささげ物」(31節)、「聖なるささげ物」(33節)、「交わりのいけにえ」(35節)となっています。それぞれの「ささげ物」についての詳細はここでは触れませんが、その「ささげ物」の名称から救い主イエスさまの姿を想起することができます。
 まず「罪のきよめのささげ物」ですが、イエスさまは、私たちの罪をきよめるために十字架に架かって死なれ、よみがってくださいました。「全焼のささげ物」は、イエスさまご自身が、ご自分の身体も、ご自身の命も全て私たちのために与え尽くしてくださったことを想起させてくれます。そして「感謝のささげ物」は、イエスさまの十字架により私たちが、ただただ神さまの恵み、神さまのあわれみによって救われていることを思い起こさせてくれます。「聖なるささげ物」からは、イエスさまの「聖さ」を思い出します。そして最後の「交わりのいけにえ」は、イエスさまの十字架による神さまと私たちの関係の回復、交わりの回復を思い出させてくれます。
 旧約聖書の時代の人たちは、イエスさまを見ることはできませんでしたし、イエスさまの教えを聞くこともできませんでした。しかし、神さまに礼拝をお献げする時の様々な「ささげ物」を通して、救い主イエスさまの姿に触れ続けていたのでしょう。

まことに、あなたがたに言います。多くの預言者や義人たちが、あなたがたが見ているものを見たいと切に願ったのに、見られず、あなたがたが聞いていることを聞きたいと切に願ったのに、聞けませんでした。   
                     マタイの福音書13章17節 

 私たちも礼拝を献げながら、またみことばに日々触れながら、私たちの救い主イエスさまのことを思い出しつつ、イエスさまと共に歩みましょう。 (吉持日輪生)