罪は盲目2024年02月04日

アハズは二十歳で王となり、エルサレムで十六年間、王であった。彼はその父祖ダビデとは違って、主の目にかなうことを行わず、イスラエルの王たちの道に歩み、そのうえ、バアルの神々のために鋳物の像を造った。
                歴代誌第二28章1~2節

 上記聖書箇所にある通り、南王国(ユダ)のアハズ王は、主の目にかなうことを行わず、北王国(イスラエル)の王たちと同じ道を歩んだことが記されています。これまでの図式は、北王国(イスラエル)は、主の目にかなうことを行わず、南王国(ユダ)はなんとか主の目にかなうことを貫いてきたという流れでした。しかしこのアハズ王の時代は北王国(イスラエル)も、南王国(ユダ)も主の目にかなうことを行わない状況になっていました。

 そのような状態の影響が、下記にも記されています。

そこには主の預言者で、その名をオデデという者がいた。この人はサマリア(北王国イスラエルの中心)に入って来た軍隊の前に進み出て言った。「見よ。あなたがたの父祖の神、主がユダ(南王国)に対して憤られたため、主はあなたがた(北王国)の手に彼ら(南王国)を渡された。ところが、あなたがた(北王国)は天に届くほどの激しい怒りをもって彼ら(南王国)を殺した。今、あなたがた(北王国)はユダとエルサレムの人々を従わせて、自分たちの男女の奴隷にしようとしている。ただ、あなたがた(北王国)自身も、あなたがたの神、主に対して罪過があるのではないか。
                    歴代誌第二28章9~10節

 このように北王国(イスラエル)も、南王国(ユダ)も神さまの激しい怒りの対象になっています。しかしその罪の影響は、自分がどれだけ主に対して罪過があるのかもわからなくしています。「愛は盲目」ということばがありますが、「罪」も自分の罪深さを見えなくさせてしまうのです。
 だからこそ今週も、イエスさまに私たちの霊的な目を見えるようにしていただき、見るべきものをしっかりと見て、主と共に歩みましょう。  
                           (吉持日輪生)

様々な「ささげ物」2024年02月11日

そこで、彼らは中に入り、ヒゼキヤ王のところに行って言った。「私たちは主の宮をすべてきよめました。全焼のささげ物の祭壇とそのすべての用具、並べ供えるパンの机とそのすべての備品をきよめました。       
                      歴代誌第二29章18節

 「主の宮」の修理が完了した後、ヒゼキヤ王は様々ないけにえを献げています。その「ささげ物」の名前に注目しましょう。
 まず最初に登場するのが「罪のきよめのささげ物」(21節)。その後は「全焼のささげ物」(24節)、「感謝のささげ物」(31節)、「聖なるささげ物」(33節)、「交わりのいけにえ」(35節)となっています。それぞれの「ささげ物」についての詳細はここでは触れませんが、その「ささげ物」の名称から救い主イエスさまの姿を想起することができます。
 まず「罪のきよめのささげ物」ですが、イエスさまは、私たちの罪をきよめるために十字架に架かって死なれ、よみがってくださいました。「全焼のささげ物」は、イエスさまご自身が、ご自分の身体も、ご自身の命も全て私たちのために与え尽くしてくださったことを想起させてくれます。そして「感謝のささげ物」は、イエスさまの十字架により私たちが、ただただ神さまの恵み、神さまのあわれみによって救われていることを思い起こさせてくれます。「聖なるささげ物」からは、イエスさまの「聖さ」を思い出します。そして最後の「交わりのいけにえ」は、イエスさまの十字架による神さまと私たちの関係の回復、交わりの回復を思い出させてくれます。
 旧約聖書の時代の人たちは、イエスさまを見ることはできませんでしたし、イエスさまの教えを聞くこともできませんでした。しかし、神さまに礼拝をお献げする時の様々な「ささげ物」を通して、救い主イエスさまの姿に触れ続けていたのでしょう。

まことに、あなたがたに言います。多くの預言者や義人たちが、あなたがたが見ているものを見たいと切に願ったのに、見られず、あなたがたが聞いていることを聞きたいと切に願ったのに、聞けませんでした。   
                     マタイの福音書13章17節 

 私たちも礼拝を献げながら、またみことばに日々触れながら、私たちの救い主イエスさまのことを思い出しつつ、イエスさまと共に歩みましょう。 (吉持日輪生)

原点に立ち返ることの大切さ2024年02月18日

こうして、ユダの全会衆、祭司とレビ人、イスラエルから来た全会衆、イスラエルの地から来た寄留者でユダに在住している者たちは、みな喜んだ。エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代以来、エルサレムでこのようなことはなかったからである。   歴代誌第二 30章25~26節

 ここには、「喜んだ」(25節)、また「大きな喜びがあった」(26節)と、イスラエルの民が喜んでいる姿が記されています。
 その「喜び」「大きな喜び」はどのような状況の中起こったのでしょうか。
9節に「あなたがたの兄弟や子たちは、彼らを捕虜にした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう」とあるように、多くの人たちが捕虜となり、異国の地に連れて行かれていた時代です。そのため下記のような状況も生じていました。

というのは、身を聖別した祭司たちが十分な数に達しておらず、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには献げることができなかったからである。
                           歴代誌第二 30章3節

 このように「身を聖別した祭司たち」の不足、「民もエルサレムに集まっていなかった」とあるように、人がいませんでした。それほどに多くのイスラエル人が「捕虜」として連れて行かれていたのでしょう。
 そのような状況の中、ヒゼキヤ王は「過越のいけにえ」を献げることを呼びかけます。「過越」とは、出エジプト記12章に記されているイスラエルが奴隷となっていたエジプトから脱出できたことを記念するお祭りです。
 神さまは、このような思いをヒゼキヤ王に与え、ヒゼキヤ王もそれを実行します。その結果、人々の心が一つにされました。

また、ユダには神の御手が臨んで、人々の心を一つにし、主のことばどおり、王とその高官たちの命令が実行された。          歴代誌第二 30章12節

 私たちも、原点に立ち返り、神さまに私たちの「心を一つ」にしていただきましょう。                             (吉持日輪生)

改革と回復2024年02月25日

ヒゼキヤは祭司とレビ人の組を定め、祭司とレビ人それぞれの組ごとに、その奉仕にしたがって全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げさせ、さらに、主の宿営の門で仕え、告白し、賛美させた。
                         歴代誌第二 31章2節

 先週取り扱った歴代誌第二30章で「過越のいけにえ」を再開させたヒゼキヤ王は、その後も改革を進めます。歴代誌第二31章1節には「石の柱を打ち砕き、アシェラ像を切り倒し…高き所と祭壇を徹底的に壊した」と書かれている通りです。
 そしてさらに大きな改革は、祭司とレビ人の奉仕の回復でした。それは冒頭で引用した聖書箇所にある通り、「全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ」る奉仕、「主の宿営の門で仕え、告白し、賛美」する奉仕の回復も進めています。
 ヒゼキヤ王は、改革を進めるだけでなく、自ら率先して自分の財産から「ささげ物」をしています。

また王は、全焼のささげ物のために、自分の財産から自分の分を出した。すなわち、主の律法に記されているとおりに、朝夕の全焼のささげ物、また安息日、新月の祭り、例祭ごとに献げる全焼のささげ物をした。      歴代誌第二 31章3節
 
 さらにその「ささげ物」の回復を通して、ヒゼキヤ王が進めたことは、次のことでした。

さらに彼は、エルサレムに住む民に対して、祭司とレビ人の受ける分を与えるように命じた。祭司とレビ人が主の律法に専念するためであった。
     歴代誌第二 31章4節

 「祭司とレビ人が主の律法に専念するため」の改革も進めました。その「祭司とレビ人」が専念した働きは、冒頭で引用した「全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ」る奉仕、「主の宿営の門で仕え、告白し、賛美」する奉仕です。
 プロテスタントの流れにある私たちの教会は、「万人祭司」という理解に立つからこそ、私たちクリスチャン一人ひとりも、「改革と回復」を繰り返しつつ、祭司としての務めを、担いつつ歩みましょう。              (吉持日輪生)