原点に立ち返ることの大切さ2024年02月18日

こうして、ユダの全会衆、祭司とレビ人、イスラエルから来た全会衆、イスラエルの地から来た寄留者でユダに在住している者たちは、みな喜んだ。エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代以来、エルサレムでこのようなことはなかったからである。   歴代誌第二 30章25~26節

 ここには、「喜んだ」(25節)、また「大きな喜びがあった」(26節)と、イスラエルの民が喜んでいる姿が記されています。
 その「喜び」「大きな喜び」はどのような状況の中起こったのでしょうか。
9節に「あなたがたの兄弟や子たちは、彼らを捕虜にした人々のあわれみを受け、この地に帰って来るでしょう」とあるように、多くの人たちが捕虜となり、異国の地に連れて行かれていた時代です。そのため下記のような状況も生じていました。

というのは、身を聖別した祭司たちが十分な数に達しておらず、民もエルサレムに集まっていなかったので、そのときには献げることができなかったからである。
                           歴代誌第二 30章3節

 このように「身を聖別した祭司たち」の不足、「民もエルサレムに集まっていなかった」とあるように、人がいませんでした。それほどに多くのイスラエル人が「捕虜」として連れて行かれていたのでしょう。
 そのような状況の中、ヒゼキヤ王は「過越のいけにえ」を献げることを呼びかけます。「過越」とは、出エジプト記12章に記されているイスラエルが奴隷となっていたエジプトから脱出できたことを記念するお祭りです。
 神さまは、このような思いをヒゼキヤ王に与え、ヒゼキヤ王もそれを実行します。その結果、人々の心が一つにされました。

また、ユダには神の御手が臨んで、人々の心を一つにし、主のことばどおり、王とその高官たちの命令が実行された。          歴代誌第二 30章12節

 私たちも、原点に立ち返り、神さまに私たちの「心を一つ」にしていただきましょう。                             (吉持日輪生)

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