「タイミング」を支配される神さま2022年09月18日

そのころ、王は神の人に仕える若者ゲハジに、「エリシャが行った大いなるわざを、残らず私に聞かせてくれ」と話していた。         列王記第二 8章4節

 上記引用箇所の「そのころ」とは、「(預言者)エリシャが、かつて子どもを生き返らせてやったあの女」(1節)が、飢饉の7年間を過ごしたペリシテ人の地から戻って来たタイミングのことです。そしてこの女性は、列王記第二4章に登場した「シュネムの女」のことです。
 さて神さまは、ペリシテ人の地から戻って来たタイミングに合わせて、王さまに「(預言者)エリシャが行った大いなる技を、残らず聞きたい」(4節)という思いを与えられ、神の人に仕える若者ゲハジから預言者エリシャの話を聞く機会を作られています。
 そして神さまは、そのタイミングで「シュネムの女」にイスラエルの地に「自分の家と畑を得ようと」させます。また「シュネムの女」が、ペリシテ人の地に住んでいた間に、恐らく他の人に「自分の家と畑」を占有されていたのでしょう。そのタイミングで、「シュネムの女」は、その状況を訴えに王さまのところ行きます。まさにそのタイミングが、神の人に仕える若者ゲハジが、王さまに「シュネムの女」の出来事を話していたのです。ですから「シュネムの女」が、王さまのところに来た時、ゲハジは興奮気味に次のように言っています。

ゲハジは言った。「王様、これがその女です。そしてこれが、エリシャが生き返らせた子どもです。」                  列王記第二 8章5節後半

 聖書の神さまは「時」を支配するだけでなく、「時」と「時」が出会うタイミングも支配されるお方です。「飢饉がおわりイスラエルに戻ってくるタイミング」「王さまが預言者エリシャの行った大いなる技を聞きたいというタイミング」、そして「シュネムの女が、王さまに相談しようとするタイミング」、それらの「タイミング」がちょうどよく重なっています。
 今日、あなたがここにいる「タイミング」も、いきなりと思える「タイミング」で起こる問題課題も、すべて神さまの御手の業です。私たちが、そのような神さまの「タイミング」に目を注ぐ時、今も生きておられる神さまに触れることができます。今週も神さまの「タイミング」に目をとめながら、生きておられる神さまと共に歩みましょう。                    (吉持日輪生)