主のことばは一つも地に落ちない2022年10月02日

だから知れ。主がアハブの家について告げられた主のことばは一つも地に落ちないことを。主は、そのしもべエリヤによってお告げになったことをなされたのだ。
                         列王記第二 10章10節

 上記聖書箇所に「主がアハブの家について告げられた主のことばは一つも地に落ちないこと」とありますが、その「主がアハブの家について告げられた主のことば」の一つは、恐らく列王記第一19章17節のことばと考えられます。

ハザエルの剣を逃れる者をエフーが殺し、エフーの剣を逃れる者をエリシャが殺す。
                         列王記第一 19章17節

 列王記第二8章8節以降で「ハザエル」が登場し、8章29節で「ハザエルの剣を逃れる者」が紹介されています。それは「アハブの子ヨラム王」です。その「アハブの子ヨラム王」に謀反を起こしたのが「エフー」で、エフーは、列王記第二9章15節に次のように記されています。

ヨラム王は、アラムの王ハザエルと戦ったときにアラム人に負わされた傷を癒やすため、イズレエルに帰っていたのである。エフーは言った。「もし、これがあなたたちの本心であるなら、だれもこの町から逃れ出て、イズレエルに知らせに行ってはならない。」                     列王記第二 9章15節

 そしてエフーの軍勢はイズレエルに向かい、エフーが放った矢に射抜かれてアハブの子ヨラム王は亡くなります。さらにエフーは今回取り上げている列王記第二10章で、アハブの70人の子を殺害し、「アハブの家に属する者でイズレエルに残っていたすべての者」(列王記第二10章11節)を殺害しています。ついでエフーはバアルの信者も殺害しています。
 さてハザエルとエフーは、アハブ王の家の者に対する殺害に関わっています。けれども預言者エリシャが、アハブ王の関係者の殺害に関わったことは記されていません。しかし、預言者エリシャは、ハザエルが王になる時にも、またエフーが王になる時にも深く関わっています。そのような意味で、「エリシャが殺す」と語られているのでしょう。
 「主のことばは一つも地に落ちない」ことを、今週も覚えつつ、みことばに励まされ、支えられて歩みましょう。    (吉持日輪生)

ほのかな希望の光2022年10月09日

アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族全員を滅ぼした。                       列王記第二 11章1節

 上記聖書箇所に記されている「アハズヤの母アタルヤ」は、かつて列王記第二8章26節に登場していました。

アハズヤは二十二歳で王となり、エルサレムで一年間、王であった。彼の母の名はアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘であった。      
                       列王記第二8章26節

 「イスラエルの王オムリの孫娘」とありますので、オムリ王がどのような王様だったかをふりかえると、「オムリは主の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした」(列王記第一16章25節)とあります。そしてこのオムリ王の子どもが、「彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行なった」(列王記第一16章30節)と書かれているアハブ王となります。
 つまりアタルヤという女性の回りには、「主の目に悪であることを行なう」祖父オムリ王、父アハブ王が存在していました。そのことを知ると冒頭引用箇所で淡々と記されているけれども、とても残酷な「ただちに王の一族全員を滅ぼした」というアタルヤの行動もうなずけます。このような強い「悪の流れ」の中にあって、神さまは、いつも「ほのかな希望の光」を用意していてくださいます。

しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹のエホシェバは、殺される王の子たちの中からアハズヤの子ヨアシュをこっそり連れ出し、寝具をしまう小部屋にその子とその乳母を入れた。人々が彼をアタルヤから隠したので、彼は殺されなかった。 
                 列王記第二11章2節

 「こっそり連れ出され、隠されていた」ヨアシュは、祭司エホヤダの助けの中、7歳で王になり、祭司エホヤダとともに、ユダ王国の信仰を整えていきます。
 私たちの信仰生活を整えるために神さまが備えてくださる「ほのかな希望の光」を今週も大切にしながら歩ませていただきましょう。    (吉持日輪生)

祭司エホヤダの得手、不得手2022年10月16日

ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間、いつも主の目にかなうことを行った。                         列王記第二 12章2節

 上記聖書箇所にある通りヨアシュ王さまは「いつも主の目にかなうことを行なった」とあります。そのヨアシュ王さまが、「主の目にかなうことを行なえた」理由の一つは、祭司エホヤダの存在でした。しかし、そのような祭司エホヤダにも問題、課題がありました。それが次に記されていることです。

しかし、ヨアシュ王の第二十三年になっても、祭司たちは神殿の破損を修理しなかった。ヨアシュ王は、祭司エホヤダと祭司たちを呼んで、彼らに言った。「なぜ、神殿の破損を修理しないのか。もう、あなたがたは、自分の担当する者たちから金を受け取ってはならない。神殿の破損にそれを充てなければならないからだ。」
                         列王記第二 12章6~7節

 祭司エホヤダが抱えていた問題、課題、それは上記聖書箇所にある通り、23年経っても「神殿の破損を修理しない」という状況でした。この問題、課題の根っこは何でしょうか。

祭司たちが、それぞれ自分の担当する者から受け取りなさい。神殿のどこかが破損していれば、その破損の修繕にそれを充てなければならない。
                     列王記第二 12章5節

 祭司エホヤダには、ちゃんと「破損の修繕」に充てるための「担当する者から受け取るお金」が、与えられていました。しかし、祭司エホヤダは、それを正しく「(神殿の)破損の修繕」に充てず、別のことに使っていたからこそ、23年経っても「神殿の補修」ができなかったのでしょう。
 つまり、祭司エホヤダは、お金を正しく使うことが苦手だったのでしょう。そして祭司エホヤダだけでなく、私たち一人ひとりにも得手、不得手があります。だからこそ聖書はこのように教えています。

兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。                 ローマ人への手紙 12章10節

 今週も互いに愛し合い、相手をすぐれた者として尊敬し合い歩みましょう。(吉持日輪生)

信仰に立った貪欲さ2022年10月23日

「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす。」それからエリシャは、「矢を取りなさい」と言ったので、イスラエルの王は取った。そしてエリシャは王に「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。神の人は彼に激怒して言った。「あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。」   
                       列王記第二 13章17~19節

 上記聖書箇所の「預言者エリシャ」と「イスラエルの王(ヨアシュ)」のやり取りを読む時、ヨアシュ王の「預言者エリシャ」のことばに対する忠実さがしっかりと記されています。「東側の窓を開けなさい」(17節)と言われれば開け、「矢を射なさい」(17節)と言われれば矢を射、「矢を取りなさい」(18節)と言われれば矢を取っています。しかし18節で「神の人(預言者エリシャ)」はヨアシュ王に激怒しています。その理由は、預言者エリシャから「それ(取った矢)で地面を打ちなさい」と言われ、ヨアシュ王は、これまで通り「預言者エリシャ」のことば通り地面を打ちますが、その回数が三回だけだったことへの怒りでした。ヨアシュ王は、「預言者エリシャ」に「あなたは五回も六回も打つべきだった」(19節)と言われています。なぜヨアシュ王が3回しか地面を打たなかったのか聖書は何も記していませんが、神さまのことばに忠実であることの大切さと共に、信仰に立った貪欲さの大切さも教えられます。
 イエスさまもこのように語られています。

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。        
                       マタイの福音書7章7~8節

 「神さまのことば」に忠実であると共に、「神さまのことば」を信じる信仰に立った貪欲さもしっかり持って私たちも歩みましょう。        (吉持日輪生)

あわれみ深い神さま2022年10月30日

ユダの王ヨアシュの子アマツヤの第十五年に、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムが王となり、サマリアで四十一年間、王であった。彼は主の目に悪であることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムのすべての罪から離れなかった。                   
                        列王記第二 14章23~24節

 さて上記聖書箇所には「ヨアシュの子ヤロブアム」と「ネバテの子ヤロブアム」と二人のヤロブアムが登場していますから、「ヨアシュの子ヤロブアム」を「ヤロブアム2世」と書くようにします。
 ネバテの子ヤロブアムの罪から離れなかったヤロブアム2世ですが、その続きを読むとこのように記されています。

彼は、レボ・ハマテからアラバの海までイスラエルの領土を回復した。それは、イスラエルの神、主が、そのしもべ、ガテ・ヘフェル出身の預言者、アミタイの子ヨナを通して語られたことばのとおりであった。     
                        列王記第二 14章25節

 なんと神さまは、ヤロブアム2世に領土回復という勝利を与えられています。それだけではありません。神さまは列王記第二14章8~14節でも、イスラエル(北王国)の王ヨアシュの勝利を記しています。
 神さまは、なぜ「主の目に悪であることを行なっていた」ヨアシュ王に勝利を与え、「主の目に悪であることを行った」ヤロブアム(2世)王に領土回復を導かれたのでしょうか。そのことについて聖書はこのように記しています。
イスラエルの苦しみが非常に激しいのを、主がご覧になったからである。
                       列王記第二 14章26節前半

 「主の目に悪であることを行ない」続けるイスラエル王国の非常に激しい苦しみを、自業自得だと見放す神さまではなく、その苦しみを自らの苦しみとして受け止め、自分の苦しみとして感じ取る神さまだからこそ、ヨアシュ王に勝利を与え、ヤロブアム2世に領土回復を導かれたのです。
 「神さまのあわれみ深さ」の大きさ、豊かさを教えられます。今週もあわれみ深い神さまのことを覚えつつ、私たちもあわれみ深い者として歩もう。(吉持日輪生)