証人は主である2021年04月25日

サムエルは彼らに言った。「あなたがたが私の手に何も見出さなかったことについては、今日、あなたがたの間で主が証人であり、主に油注がれた者が証人である。」そこで、ある人が「証人は」と言うと、サムエルは「主である。モーセとアロンを立てて、あなたがたの先祖をエジプトの地から上らせた方である」と民に告げた。
                      サムエル記第一 12章5~6節

 この章の冒頭、預言者サムエルは、自らの歩みについて民に語り掛けています。「私は若いときから今日まで、あなたがたの先に立って歩んできた」(2節後半)。そして下記の個所にとつながります。

さあ今、主と主に油注がれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを虐げ、だれかを打ちたたいただろうか。だれかの手から賄賂を受け取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、あなたがたにお返しする。」彼らは言った。「あなたは私たちを虐げたことも、踏みにじったことも、人の手から何かを取ったこともありません。」
                      サムエル記第一 12章3~4節

 そして、この預言者サムエルと民とのやり取りの続きが冒頭聖書箇所になります。預言者サムエルの歩みに対する「証人」について、「主が証人であり」「証人は…主である」と書かれています。

 これは預言者サムエルと民との間のことだけではありません。神さまの主権を認める時、すべて「主が証人」です。ですから私たちは、日々の生活の中で沸き起こる一つ一つのことについて、その出来事の「証人」である神さまに、「なぜですか」「どこに意味があるのですか」と問いかけるしかないのです。
 コロナ禍の中にあっても同様です。この出来事、この状況の「証人」も主だからこそ、主に問いかけつつ、主に一つ一つのことを教えていただいて日々歩むしかありません。今週も、お一人おひとりが、神さまの御手の中で守られますようにお祈りしています。                        (吉持日輪生)

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