受諾する姿勢は変わらない2020年01月12日

「職人の手のわざである、主が忌み嫌われる彫像や鋳像を造り、これをひそかに安置する者はのろわれる。」民はみな答えて、アーメンと言いなさい。             申命記 27章15節

 申命記27章15節以降には、「民はみな答えて、アーメンと言いなさい」(15節)、「民はみな、アーメンと言いなさい」(16~26節)という記述が、繰り返し出てきます。「アーメン」とは、「本当に」「確かに」「その通り」という意味です。つまり「受諾」のことばです。
 けれども申命記27章では、この受諾のことば「アーメン」を「アーメンと言いなさい」と、イスラエルの民への命令として伝えています。その内容は、十戒に近いものとなっていますが、十戒より卑近な表現となっています。例えば十戒の第2戒は「偶像を造ってはならない」(出エジプト記20章4節)ですが、申命記27章では「主が忌み嫌われる彫像や鋳造を造り、これをひそかに安置する者は」と、「ひそかに安置する」人の姿に言及しています。また十戒の第5戒は「あなたの父と母を敬え」(出エジプト記20章12節)ですが、申命記27章では「敬う」が「軽んじる」となっています。また十戒の第十戒は「あなたの隣人の家を欲してはならない」(出エジプト記20章17節)ですが、申命記27章では「隣人との地境を移す」となっています。そして申命記27章18節以降は、十戒には見られない内容で、18節では「目の見えない人を道に迷わせる者」、19節では「寄留者、孤児、やもめのさばきを曲げる者」、そして20節以降は、倫理的な内容となっています。
 このように出エジプトの時代から申命記の時代に進む中、戒めの表現は変化していきますが、私たちの戒めに対する姿勢は、「アーメンと言いなさい」とあるように、常に受諾する姿勢をとるべきだと教えられます。
 今週も、神さまが聖書を通して、またデボーションを通して示してくださる命令を、私たちも「アーメン」と受諾していく姿勢をもって歩みましょう。
(吉持日輪生)

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