実践の大切さ2020年01月26日

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。           申命記29章29節

 申命記は、その1章5節に「ヨルダンの川向こう、モアブの地で、モーセは次のように、みおしえの確認を行うことにした」とあるように、「モアブの地での命令」です。一方「ホレブで彼らと結ばれた契約」(申命記29章1節)は、出エジプト記20章に記されている「十戒」に代表される「シナイ山での命令」となります。「シナイ」と「ホレブ」は、旧約聖書の中で併用されており、「ホレブ」は山脈名で、「シナイ」は頂上名と説明しているものもありますが、諸説あるようです。これまで申命記27章、28章を取り扱う時も、「十戒」に代表される「シナイ山(ホレブ)での命令」と、申命記に記されている「モアブの地での命令」と比較してきましたが、モーセも「別のもの」と語っています。「これらは、モアブの地で、主がモーセに命じて、イスラエルの子らと結ばせた契約のことばである。ホレブで彼らと結ばれた契約とは別である」(申命記29章1節)とある通りです。
 さて「十戒」とは別のものであるこの命令ですが、今回上記に引用したことばにあるように、神さまには「隠しておられること」があるということです。イエスさまもマタイの福音書24章36節で「ただし、その日、その時がいつなのかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます」と語られている通り、「父(なる神さま)だけが知っておられること」があるのです。私たちは「父なる神さまが隠しておられること」を知りたいと思いますが、その好奇心、その情熱は、聖書を通して語られていること、つまり神さまがことばとして現わされたことを行なうことに向けられているほうが、よりふさわしいでしょう。
 今週も、上記聖書箇所に「私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うため」とある通り、みことばの実践を大切に歩みましょう。      (吉持日輪生)