20150607 神さまの祝福を知る2015年06月07日

これらすべてはイスラエルの部族で、十二であった。これは彼らの父が彼らに語ったことである。彼は彼らを祝福したとき、おのおのにふさわしい祝福を与えたのであった。         創世記49章28節

創世記49章は、ヤコブが自分の子どもたちに預言している箇所です。左の12部族の割り当て地を見ながら読むと興味深いです。4節長男ルベンには「だが、水のように奔放なので、もはや、あなたは他をしのぐことがない」と言われていますが、実際ルベン族への割り当て地は、約束の地(ヨルダン川の西側)ではなくヨルダン川の東にあります。またシメオンとレビには、7節b「イスラエルの中に散らそう」とある通り、レビ部族は割り当て地はなく、シメオンもユダ族の中に組み入れられています。ユダには10節「王権はユダを離れず」とある通り、たくさんの王さまが出ていますし、歴史的にもイスラエル南王国として長く残り続けました。13節「ゼブルンは海辺に住み」、15節イッサカルはガリラヤ湖に南にあり「その地が、いかにも麗しいのを見た」とあります。その後も16節ダン、19節ガド、20節アシェル、21節ナフタリ、22節ヨセフの子たち(エフライム、マナセ)、27節ベニヤミンと続きます。しかし上記聖書箇所にある通りこの預言は「祝福」であり、「おのおのにふさわしい祝福」とあります。しかし割り当て地がない部族もあれば、ヨセフのように名前が消えてしまう人もいますが、それも祝福なのです。ここに神さまの祝福の深さ、広さ、大きさを感じます。この視点に立ち私たちの祝福をもう一度捉え直し、神さまからの祝福に感謝しましょう。

20150614 神さまの変わらない愛2015年06月14日

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。                  創世記50章20節

創世記50章、いよいよ創世記もこれで終わりです。創世記最後の章、50章は、ヤコブ(イスラエル)の死と哀悼の儀式のことが記されていますが、後半は再びヨセフと他の兄弟たちの話題に戻ります。兄弟たちは、父ヤコブが死んだ後、ヨセフからの仕返しを恐れたとあります(15節)。そこでヨセフの兄弟たちは、16節、17節で父ヤコブが言ってもいない偽りのことづけをヨセフに伝えますが、ヨセフはそれを聞いて「泣いた」(17節最後)とあります。このヨセフの涙は、エジプトに兄弟たちが移住してきて17年間経つ(創世記47章28節)にもかかわらずまだ恐れを抱き、偽りのことづけをしてくる兄弟たちへの涙であり、また自分が赦していることがこの17年間兄弟たちに伝わっていなかったことへの涙だったのでしょう。
箴言28章1節に「悪者は追う者もないのに逃げる」とありますが、まさに悪を行なったヨセフの兄弟たちは、17年間ヨセフから仕返しがあるのではないかと恐怖に追われ続けていたのです。しかしヨセフは、19節で「恐れることはありません」と、仕返する気など毛頭ないことを伝えています。そして上記の聖書箇所を読む時、ヨセフの気持ちが、17年間全く変わっていないことがわかります。
私たちが信じている神さまも、旧約聖書の時代から今日まで変わることなく私たちのことを愛していて下さいます。イエスさまのゆえに神さまは、決して私たちを罰しようとはなさいません。しかし私たちは、悪者ゆえに「罰せられるのでは」と不安になるのです。だからこそ聖書の約束をしっかり握りしめて今週も歩ませていただきましょう。さて次週から約15回の予定で、5月17日にカナダでの学びを終えて私たちの教会の伝道師として就任した笠川路人伝道師が、自己紹介、信仰の生い立ち、そしてカナダで学んできたことなどを恵泉で連載します。楽しみにしていきましょう。

20150621 あなたの若い日に2015年06月21日

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」 伝道者の書12章1節a

みなさんこんにちは。伝道師の笠川路人です。5月17日に茨木聖書教会の伝道師として着任いたしました。どうぞ宜しくお願い致します。今週から15週にわたって、自己紹介と神学校で学んだことについてお分かちさせて頂きたいと思います。私は1979年3月31日に牧師家庭の二番目の子供、長男として埼玉県狭山市に生まれました。両親の転任と共に、小学校1年生の春に茨城県波崎町(現神栖市)に、そして小学校4年生の冬に大阪府茨木市に移り住みました。太平洋に面した小さな町から、大阪の郊外の茨木市に移り住んだのは私にとって大きな変化でした。当時の水尾小学校4年4組のクラスメイトは標準語を話す私に一生懸命、大阪弁を教えてくれました。「買い物行ったら『おおきに』って言わなあかんねんで」と言われた時には「これはすごいところに来てしまった」と内心思ったのを覚えています。慣れない環境に戸惑いや心細さを覚えることもありましたが、逆に茨木聖書教会で出来た同世代の友人達、そして中高生や青年のお兄さん、お姉さん達は私にとって大きな心の支えになったのを覚えています。教会は私にとって安心できる居場所になっていきました。日曜日は朝7時から8時過ぎまで同世代のクリスチャンホームの友人と野球の練習、朝9時の教会学校と10時半の礼拝に出席した後には、お昼過ぎから夕方まで教会の友人と一緒に遊んでいました。とにかく毎週楽しく過ごしていたのを覚えています。そして2年後の小学校6年生の12月に父と母の勧めにより、洗礼を受けることになりました。早速、洗礼式のための証の準備を始めましたが、証の中で紹介する聖書箇所を決めるのにとても苦労をしました。結局どの聖書箇所がふさわしいか両親に尋ねたところ、「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」伝道者12章1節の御言葉を勧めてくれました。このように素直に神さまを信じていた時期に両親の勧めによって受洗をすることが出来たのは、神さまの時であり恵みであったと思います。中学生になってから思春期を経験することになりますが、小さい頃の教会での経験は今でも私の教会生活と信仰の支えとなっていることを覚えます。

20150628 人生の転機2015年06月28日

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えて下さったのです。」            エペソ人への手紙2章10節

中学校に進学して状況は大きく変わりました。進学と同時に友人と離れ離れになり、クラスにもなかなか馴染むことができず、クラブ活動以外は比較的静かな中学校生活を送っていました。思春期に入ってからは素直な信仰を持つことが出来なくなり、聖書の教えに疑いを持つようにもなって来ました。人生の意味や教会に通う理由が分からなくなり悶々としていました。教会の青年会メンバーのように熱心で活き活きとしたクリスチャンに内心憧れつつも、どうやったら熱心なクリスチャンになれるのか分かりませんでした。そんな私に人生の転機は突然訪れました。高校受験が差し迫った中学3年生の冬、12月31日に行われた除夜祈祷会で、「聖書を読みなさい、私を求めなさい」という神さまの語りかけを聞きました。心の中で「聖書を読みたい」という熱い思いが込み上げてきて、家に帰った後に、聖書を開くとエペソ人への手紙2章10節のみことばが示されました。ここに私の人生の目的がはっきりと書いてありました。それから毎日朝と晩に聖書を読み、思ったことをひたすらノートに書き綴る生活を続けました。そして3ヵ月後に私の心は完全に変えられました。それまで人間関係が苦手だった私が、神さまとの個人的な関係を持つようになってから、活動的になり、人間関係を楽しむようになりました。それは神さまが私を愛して共にいて下さるので、もう人を恐れる必要がないということが分かったからです。それから5ヵ月後の高校1年生の夏に参加した教団主催の青年宣教大会で、献身の招きに応じ、自分の生涯をフルタイムの献身者として捧げる決心をしました。あの除夜祈祷会を導いて下さったのが当時伝道師であった吉持日輪生先生であり、青年宣教大会での献身の招きをして下さったのが、お父様である吉持章先生であったことも神さまの不思議な導きを覚えます。次回は15歳で献身の決心をしてから、神学校に行くまで17年もかかった理由、大学・社会人時代をお分かちさせて頂ければと思います。