20150503 造りかえてくださる神さま2015年05月03日

なぜ、あなたがたは悪をもって善に報いるのか。     創世記44章4節b

創世記44章は、ヨセフの兄弟への愛、優しさを感じる内容で始まります。「あの人々(ヨセフの兄弟たち)の袋を彼らに運べるだけの食糧で満たし、おのおのの銀(食料代として用意したもの)を彼らの袋の口に入れておけ」(創世記44章1節)。しかし、すぐにヨセフの内にある複雑な思いも湧き起こってきます。「また、私の杯、あの銀の杯を一番年下の者(ベニヤミン)の袋の口に、穀物の代金と一緒に入れておけ」(創世記44章2節)とある通りです。そして、ヨセフが管理者に託した上記のことばは、ヨセフの心の中でうごめいていた思いの表出のように思えます。つまりヨセフの心の中では、「悪をもって悪に報いるのか、善をもって悪に報いるのか」、このような思いが行き巡っていたのでしょう。
さて17年間という年月が、ヨセフを大きく造りかえ、神さまにあって成長していたように、ヨセフの兄弟たちも神さまによって大きく造りかえられ、成長していました。ベニヤミンの袋から銀の杯が見つかると、兄弟たちは全員でヨセフの元に戻り、ユダが中心となって、ベニヤミンのためのとりなしをしていきます。そして創世記44章33~34節でこのように語ります。「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません」と。17年前、自分を奴隷として売った兄弟のひとりが、ベニヤミンの代わりに自分が奴隷になると叫んでいる、この光景は、ヨセフにとって複雑な思いを起こさせつつも、確かに造りかえられた兄弟たちの姿として心に刻まれたことでしょう。
私たちは、神さまと共に歩む時、誰ひとりとして例外なく、神さまによって造りかえられます。なぜなら神さまこそが、私たちの造り主だからです。今週も、造りかえてくださる神さまに期待しつつ、歩ませていただきましょう。

20150510 いのちを救うために2015年05月10日

今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。                         創世記45章5節

いよいよヨセフ物語もクライマックスです。ヨセフは、兄弟たちに「私はヨセフです」(創世記45章3a)と自分の名前を伝えます。声を上げて泣くヨセフに、ただただ驚いて、ことばの出ない兄弟たちの姿が記されています。兄弟たちの驚きは、目の前の人物がヨセフだということだけではありませんでした。文字だけでは伝えきれない点なのですが、もう一つの驚きは、これまでエジプトのことばを話していたヨセフが、いきなりイスラエルのことばを使い、自らの名を名乗り、通訳を経ないで直接ことばを掛けていることでした。
上記の聖書箇所だけでなく、その後もヨセフは感動的なことばを続けます。「それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」(創世記45章7~8節a)。繰り返し出てくることばは、「あなたがたより先に」「救うため」「大いなる救いによって」などです。
この神さまの御業は、私たちが与っているいのちの救いにも当てはまります。神さまは私たちが「救われるため」、私たちが「大いなる救いに」与るために、私たちよりずっとずっと先にイエスさまをこの世に遣わして下さり、十字架に付けられ、贖いの死と復活をなし遂げさせてくださったのです。
さて今度は、私たちの順番です。今、あなたが直面している苦しみ、困難は、実は次の世代のいのちを救うため、大いなる救いに与るためです。あなたをその苦しみ、困難に導かれたのは、あなたの欠点でも、他の誰かでもありません。ただただ神さまによるのです。その神さまと今週も共に歩みましょう。

20150517 神さまのご計画はダイナミック2015年05月17日

ヤコブに属する者、すなわち、ヤコブから生まれた子でエジプトへ行った者は、ヤコブの息子たちの妻は別として、みなで六十六人であった。エジプトでヨセフに生まれた子らはふたりで、エジプトに行ったヤコブの家族はみなで七十人であった。
                        創世記46章26~27節

上記聖書箇所に書かれていることは、エジプトに移住したヤコブ一族が66人、エジプトで家庭を持っていたヨセフの家族が4人、合計で70人ということです。この70人のヤコブ一族が、その後、エジプトを脱出する時、いったい何人になっていたのでしょうか。そのことが出エジプト記12章37節に書かれています。「イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人」と 。この60万人には壮年男子の数ですから、これに女性や、幼子を加えると恐らく130万人にはなると思われます。イスラエルの民は430年間(出エジプト記12章40節)にわたりエジプトという大国に守られながら、たった70人の一族から130万人の大民族へと変化したのです。
この神さまのスケールの大きなご計画に圧倒されます。ヨセフをまずエジプトへ遣わし、飢饉を通して兄弟たちと再会させ、430年間大国エジプトの中で守り、選民イスラエルを大民族へと育てていったのです。このようなダイナミックなご計画を実行できるのは、天地万物をお造りになった神さまだけです。そしてもう一つこの出来事から教えられることは、神さまの約束への誠実さです。この出来事は、創世記1章28節「生めよ。ふえよ。地を満たせ」を果たすためであり、創世記12章2節「わたしはあなたを大いなる国民とし」を果たすためであり、また創世記17章6節「わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし」を果たすためでした。
神さまは、今も同じようにダイナミックなご計画をもってあなたを導き、あなたを必ず祝福してくださいます。ですから目先の状況に振り回されず、神さまを信頼し、神さまに期待し、神さまへの賛美と礼拝を献げ、今週も歩ませていただきましょう。

20150524 「良い地」とは2015年05月24日

ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。
                           創世記47章11節

創世記47章にも、神さまの尽きることのない豊かな恵みと祝福がしっかりと記されています。その一つが、ヨセフとヨセフの父(ヤコブ)、そしてヨセフの兄弟たちが「エジプトの地で最も良い地、ラメセス」に住むことになったことです。神さまは、ヤコブ一族を大飢饉から守られるだけではなく、エジプトの最も良い地へと導かれたのです。このことは、ただ「良い地」に導かれたという恵みではありません。「良い地」「肥沃な地」だからこそ、イスラエルの民は、そこで増え続けることができたのです。イスラエルの民は、結局430年間ラメセスに住み続け、増え続け、そこから約束の地へと出発しました。
この創世記47章における「良い地」は、私たちに「良い地」への理解を深めさせてくれます。確かにラメセスは肥沃な「良い地」でしたが、周りの環境は決してイスラエルにとって「良い地」ではありませんでした。けれども神さまは、イスラエルのための「良い地」を異国エジプトの中に用意されたのです。この「良い地」はイエスさまが語る種蒔きのたとえ話(マタイ13章18~23節)の「良い地」とも違います。イエスさまの「良い地」は、他の「道ばた」「岩地」「いばらの中」との比較の中で、読み手に見るからに「良い地」との印象を残します。しかし創世記47章の「良い地」は違いました。異教の神々が礼拝され、異教の神々の像が建ち並ぶ、決して「良い地」ではありませんでした。しかし、そのラメセスが、イスラエルのために神さまが用意された「最良の地」だったのです。あなたにとっての「良い地」も、決して見るからに「良い地」ではないかもしれません。しかし、神さまがあなたのために用意してくださっている「良い地」であるならば、そこで必ず実が結ばれます。

20150531 忍耐から生まれた信仰的財産2015年05月31日

それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」      創世記48章15~16節

これは、ヨセフの父ヤコブ(イスラエル)が、ヨセフの子どもたちエフライムとマナセを祝福した時の祈りです。ヤコブは、この祈りの中に自分の証詞を織り込んでいます。例えば「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」。兄エサウとの関係においても、母の兄ラバンとの関係においても、また晩年になってエジプトに移住したことも、すべて、神さまが私の羊飼いであったと告白しています。なんと素晴らしいことでしょう。また「すべてのわざわいから私を贖われた御使い」では、兄エサウを裏切ることで住み慣れたベエル・シェバを離れパダン・アラムへ向かう旅路でも、母の兄ラバンから受けた様々な仕打ちからも、そしてヨセフを失ったと思わされていた災いからも、また激しい飢饉からも、神さまは贖いだしてくださったことの証詞が込められています。そしてこれらの証詞には長い年月の忍耐が伴っていました。母の兄ラバンの元では20年間働きましたし、息子ヨセフとの再会までには22年間(エジプトの宰相に13年、その後7年間の豊作、そして飢饉の2年目に再会)かかっています。これらの忍耐の中で培われた羊飼いであり、贖い主である神さまとのお交わり。その信仰の財産をヤコブは、孫たちに届けたかったのです。
私たちも、神さまが私の羊飼いとして人生を導いてくださったことを、また様々な災いから贖い出してくださったことを、子どもたちに伝え、孫たちに伝えていく使命があります。これらの祝福を子どもたちに、孫たちに届けるために必要なものは忍耐です。忍耐をもって神さまの御業を見守っていきましょう。