20150614 神さまの変わらない愛2015年06月14日

あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。                  創世記50章20節

創世記50章、いよいよ創世記もこれで終わりです。創世記最後の章、50章は、ヤコブ(イスラエル)の死と哀悼の儀式のことが記されていますが、後半は再びヨセフと他の兄弟たちの話題に戻ります。兄弟たちは、父ヤコブが死んだ後、ヨセフからの仕返しを恐れたとあります(15節)。そこでヨセフの兄弟たちは、16節、17節で父ヤコブが言ってもいない偽りのことづけをヨセフに伝えますが、ヨセフはそれを聞いて「泣いた」(17節最後)とあります。このヨセフの涙は、エジプトに兄弟たちが移住してきて17年間経つ(創世記47章28節)にもかかわらずまだ恐れを抱き、偽りのことづけをしてくる兄弟たちへの涙であり、また自分が赦していることがこの17年間兄弟たちに伝わっていなかったことへの涙だったのでしょう。
箴言28章1節に「悪者は追う者もないのに逃げる」とありますが、まさに悪を行なったヨセフの兄弟たちは、17年間ヨセフから仕返しがあるのではないかと恐怖に追われ続けていたのです。しかしヨセフは、19節で「恐れることはありません」と、仕返する気など毛頭ないことを伝えています。そして上記の聖書箇所を読む時、ヨセフの気持ちが、17年間全く変わっていないことがわかります。
私たちが信じている神さまも、旧約聖書の時代から今日まで変わることなく私たちのことを愛していて下さいます。イエスさまのゆえに神さまは、決して私たちを罰しようとはなさいません。しかし私たちは、悪者ゆえに「罰せられるのでは」と不安になるのです。だからこそ聖書の約束をしっかり握りしめて今週も歩ませていただきましょう。さて次週から約15回の予定で、5月17日にカナダでの学びを終えて私たちの教会の伝道師として就任した笠川路人伝道師が、自己紹介、信仰の生い立ち、そしてカナダで学んできたことなどを恵泉で連載します。楽しみにしていきましょう。

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