「心を尽くして」(14節)2023年09月03日

(ソロモンは…)こう言った。「イスラエルの神、主よ。天にも地にも、あなたのような神はほかにありません。あなたは、心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です。
        歴代誌第二 6章14節

 上記引用箇所後半に「心を尽くして御前に歩むあなたのしもべたちに対し、契約と恵みを守られる方です」とある。ここで使われている「心を尽くして」は、旧約聖書で有名な申命記6章4~5節にも登場する表現であり、またイエスさまも引用していることばです。

聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。                          申命記 6章4~5節

 実は、今回取り上げている歴代誌第二6章には、「心」がたくさん登場しています。「私の父ダビデの心にはいつも」(7節)、「あなたの心にはいつも」(8節)、「心を尽くして」(14節)、「その心をご存じです」「すべての人の子の心をご存じだから」(30節)、「心のすべて」(38節)とある通りです。
 サムエル記第一16章7節後半に「人はうわべを見るが、主は心を見る」とある通り、聖書の神さまは心を見られ、心を探られるお方です。しかし同時に、誰かの「心」と、誰かの「心」とを比較するお方ではありません。ですから「心を尽くして」(14節)も、誰かの「心」と比べて、誰かよりも「尽くして」と語っているのではありません。例えば8節で主(神さま)は「あなた(ダビデ)の心にはいつも、わたしの名のために家を建てたいという思いがあった」と書かれています。ダビデは、順調な時も、そうでない時も、力ある時も、年を重ね弱さを覚える中でも、心を尽くして神殿建築の準備をしたのです。このようなことを思い巡らす時、「心を尽くして」とは、私たち日本人が使う「精一杯」に近いように感じます。誰かと比べて、または誰かのように「がんばる」のではなく、ただただ神さまの前に与えられている時間、与えられている健康、与えられている体力の中で「心を尽くして御前に歩む」(14節)とは、「精一杯御前に歩む」ということでしょう。
 今週も、どのような状況の中にあっても、与えられている心の状況、心の状態の中で「精一杯の心」をもって神さまの御前に歩みましょう。    
(吉持日輪生)

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