預言者エリヤの登場2022年06月19日

ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」             
                           列王記第一 17章1節

 前章でアハブ王について、「彼以前のだれよりも主の目に悪であることを行なった」(16章30節)、「ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった」(16章31節)と記されていた通り、最悪の時代に登場した預言者がエリヤでした。
 預言者エリヤは、預言者の中の預言者として新約聖書にもその名前が度々登場するだけでなく、マタイの福音書17章に記されているイエスさまが変貌される場面では、モーセと共にエリヤが現れたことが記されています。

そして、見よ、モーセとエリヤが彼らの前に現れて、イエスと語り合っていた。
                         マタイの福音書17章3節

 預言者エリヤが、列王記第一17章で伝えたかったことは、冒頭引用箇所にも記されている「イスラエルの神、主は生きておられる」というメッセージです。さらに「イスラエルの神、主は生きておられる」ことが、エリヤの日々の食事が烏によって届けられたり、やもめの家の「かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった」ことを通しても、明らかにされていきます。
 そしてこの章の後半で、そのやもめの息子が病気になり亡くなる中で、預言者エリヤの祈りが献げられます。

彼(エリヤ)は主に叫んで祈った。「私の神、主よ。私が世話になっている、このやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。」そして、彼は三度その子の上に身を伏せて、主に叫んで祈った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください。」
                        列王記第一17章20~21節

 この祈りを通して「やもめの息子」は生き返ります。つまりエリヤを通して、「神さまは、生きておられること」、そして「いのちの管理者、責任者であること」が明らかにされます。
 今週も、「主は生きておられ、私たちにいのちを与え続けてくださるお方」であることを信じつつ歩みましょう。                (吉持日輪生)

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