主と心を一つにしよう2022年05月08日

ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。
                       列王記第一 11章4節

 列王記第一11章には、栄華を極めたソロモン王の晩年のことが記されています。上記聖書箇所に「ソロモンが年をとったとき」とある通りです。晩年のソロモン王について聖書は、はっきりとこのように書いています。「彼(ソロモン王)の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった」と。
 ちょうど数週間前に取り上げた「列王記第一8章」には、神殿を建て上げ、「契約の箱」などを神殿の中に運び入れたソロモン王が、イスラエルの民に熱く語る姿と言葉が記されていました。その中で、ソロモン王は自らこのように語っています。

あなたがたは、今日のように、私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。         列王記第一8章61節

 つまりソロモン王は、「私たちの神、主と心を一つにし」と自ら語りながら、晩年「彼の神、主と一つにはなっていなかった」ということです。その理由は、冒頭聖書箇所にも記されている通り「妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けた」からでした。そしてさらに驚かされるのは、その妻と側女の数です。

彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた。                       列王記第一11章3節

 このようなソロモン王に対して、神さまは何もされなかったのではありません。

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から離れたからである。主が二度も彼に現れ、このことについて、ほかの神々に従っていってはならないと命じておられたのに、彼が主の命令を守らなかったのである。
 列王記第一11章9~10節

 私たちも、罪を犯します。そのような中、神さまは、様々な方法、様々な形で語り掛けてくださいます。その時、ソロモンのように心をかたくなにしないで、「主と心を一つにし」、素直に、子どものように、神さまの語り掛けに応え、罪から離れましょう。                (吉持日輪生)

主に信頼することを失う時2022年05月15日

王(レハブアム)は民に厳しく答え、長老たちが彼に与えた助言を退け、若者たちの助言どおりに彼らに答えた。「私の父がおまえたちのくびきを重くしたのなら、私はおまえたちのくびきをもっと重くする。私の父がおまえたちをむちで懲らしめたのなら、私はサソリでおまえたちを懲らしめる。」
                     列王記第一 12章13~14節

 この章からイスラエル王国が、北王国と南王国に分かれていきます。この時代は、登場人物の整理が必要なので、なるべくその情報も紹介しながら、読み進めたいと思います。
*レハブアム:ソロモン王の子で、ソロモン王の後継王、イスラエル南王国の王となる
 ヤロブアム:イスラエル北王国の最初の王、民を偶像崇拝にと進ませた王

 さて上記聖書箇所は、ソロモン王の後継者となったレハブアム王が、ソロモン王時代からの長老たちの助言よりも、自分とともに育った若者たちの助言に従った個所です。結果的にこの判断が、イスラエルの国を北と南に分裂させることになりました。けれども、このイスラエル王国が南北に分裂することは、列王記第一11章に記されていました。

ヤロブアムに言った。「十切れを取りなさい。イスラエルの神、主はこう言われる。『見よ。わたしはソロモンの手から王国を引き裂き、十部族をあなたに与える。
                          列王記第一11章31節

 しかし、このように神さまによってイスラエルの10部族を託されたヤロブアムでしたが、12章後半を読み進めると、イスラエルの民を偶像崇拝にと強く向かわせてしまうことになります。そのような間違った道に民を進める原点は、神さまへの信頼を失った、自分の知恵による保身からでした。

この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は彼らの主君、ユダの王(南王国)レハブアムに再び帰り、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。       列王記第一12章27節

 全能なる神さまへの信頼を失い、自分の身を自分の知恵で守ろうとする時、人の歩みは混沌としていきます。今週も神さまに信頼して歩みましょう。(吉持日輪生)

身をもって伝える預言者たち2022年05月22日

彼は、ユダから来た神の人に呼びかけて言った。「主はこう言われる。『あなたは主のことばに背き、あなたの神、主が命じた命令を守らず、引き返して、主があなたに、パンを食べてはならない、水も飲んではならないと言った場所でパンを食べ、水を飲んだので、あなたの亡骸は、あなたの先祖の墓には入らない。』」      
列王記第一 13章21~22節

 列王記第一13章には、上記に記されている「ユダから来た神の人」と、「一人の年老いた預言者」(11節)が登場します。「ユダから来た神の人」は、「パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない」(9節抜粋)という主からのことばに忠実に、パンも水も口に入れることなく、来た道と別の道で帰り始めていました。そこに「一人の年老いた預言者」が来て、次のように語ります。

彼(一人の年老いた預言者)はその人(ユダから来た神の人)に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主のことばを受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ』と告げました。」こうして彼はその人をだました。                    列王記第一13章18節

 だまされた「ユダから来た神の人」は、「一人の年老いた預言者」と同じ預言者でしたが、その後、獅子に殺されてしまいます。なんとも後味の悪い、理解に苦しむ内容となっています。
 この章を理解する上で参考になる個所は、下記のことばです。

この民を導く者は迷わす者となり、彼らに導かれる者は惑わされる者となる。
                            イザヤ書9章16節

 民を導く王が、「迷わす者」となる時、王に導かれる者(民)が「惑わされる」という状況を、そしてそれが「死」「滅び」につながることを預言者たちが身をもって示したのでしょう。そしてこの「身をもって」伝えた預言者たちの姿が記されている列王記第一13章には、イエスさま誕生ストーリーの中で聞くフレーズが何度も登場しています。「一人の男の子がダビデの家に生まれる」(2節)、「もと来た道を通って帰ってはならない」(9節、10節、17節)。身をもってメッセージを伝えた預言者たちの姿の先に、身をもって救いの道を用意してくださったイエスさまを覚えます。
 私たちも身をもって、その恵みに応えていきましょう。(吉持日輪生)

植え、引き抜き、また再び植えてくださる神さま2022年05月29日

主はイスラエルを打って、水に揺らぐ葦のようにし、彼らの先祖に与えられたこの良い地の面からイスラエルを引き抜き、あの大河の向こうに散らされるでしょう。彼らがアシェラ像を造って主の怒りを引き起こしたからです。
                      列王記第一 14章15節

 上記聖書箇所の「彼らの先祖に与えられたこの良い地」について、聖書は次のように書いています。

わたしが下って来たのは、エジプトの手から彼らを救い出し、その地から、広く良い地、乳と蜜の流れる地に、(中略)彼らを導き上るためである。 
                     出エジプト記 3章8節

 神さまは、イスラエルの民をエジプトから脱出させるだけでなく、「広く良い地」「乳と蜜の流れる地」に導かれました。しかし、ヤロブアムの時代になり、神さまの教えから大きく離れていく中、「先祖に与えられたこの良い地の面からイスラエルを引き抜き、あの大河の向こうに散らされる」と語られています。
 聖書の神さまは、下記の聖書箇所にある通り、植える方であり、また引き抜くお方です。旧約聖書を読んでいると植える神さまは、引き抜く神さまであるけれども、また再び植えてくださる神さまであることが記されています。

かつてわたしが、引き抜き、打ち倒し、打ち壊し、滅ぼし、わざわいを下そうと彼らを見張っていたように、今度は、彼らを建て直し、また植えるために見張る──主のことば──。                エレミヤ書 31章28節

 私たちも、たとえ神さまに引き抜かれることがあっても、再び神さまによって恵みの「流れのほとりに植えられた(移植された)木」(詩篇1篇3節)となれるように、悔い改めと罪の赦しをいただいて、今週も歩もう。

その人は 
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び 
その葉は枯れず 
そのなすことはすべて栄える。      詩篇 1篇3節
                             (吉持日輪生)