「すべての営みに時がある」(伝道者の書3章1節抜粋)2022年06月26日

かなりの日数を経て、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地の上に雨を降らせよう。」  
                          列王記第一 18章1節

 この上記の内容は、17章1節と呼応しています。

ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」             
                          列王記第一 17章1節

 「ここ数年の間」とあった通り「(霧も、雨も降らなくなって)3年目」に、エリヤを通して雨が降りますが、なぜ神さまは「3年目」という時を選ばれたのでしょうか。しかも18章では、バアルという異教の神との対決において、圧倒的な存在感を示しています。

彼ら(バアルに仕える祭司たち)はますます大声で叫び、彼らの慣わしによって、剣や槍で、血を流すまで自分たちの身を傷つけた。このようにして、昼も過ぎ、ささげ物を献げる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。                 
                          列王記第一 18章28~29節

 それに対して聖書の神さまは、次のように存在感を現わしています。

「…私に答えてください。主よ、私に答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」すると、主の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。     
                          列王記第一 18章37~38節

 これほどまでの圧倒的な存在感を、なぜ神さまはもっと早く現わされなかったのでしょうか。同じような問いは、イエスさまによる贖いの十字架にも抱きます。「なぜもっと早く…」。しかし、神さまの営みには「時がある」のです。

すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
                           伝道者の書 3章1節

 今週も、「神さまの時」を、神さまに信頼し、祈りつつ歩みましょう。
                 (吉持日輪生)

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