「のがれの町」の役割2018年01月21日

 だから私はあなたに命じて、「三つの町を取り分けよ」と言ったのである。あなたの神、主が、あなたの先祖たちに誓われたとおり、あなたの領土を広げ、先祖たちに与えると約束された地を、ことごとくあなたに与えられたなら、──私が、きょう、あなたに命じるこのすべての命令をあなたが守り行い、あなたの神、主を愛し、いつまでもその道を歩むなら──そのとき、この三つの町に、さらに三つの町を追加しなさい。
                        申命記19章7~9節 

 申命記19章は、民数記35章でも取り上げられていた「のがれの町」について触れています。
この「のがれの町」で生きることが許されている人たちについて、聖書ははっきりと次のように記しています。民数記35章11節では、「あなたがたは町々を定めなさい。それをあなたがたのために、のがれの町とし、あやまって人を打ち殺した殺人者がそこにのがれることができるようにしなければならない」とあり、また申命記19章4節では「殺人者がそこにのがれて生きることができる場合は次のとおり。知らずに隣人を殺し、以前からその人を憎んでいなかった場合である」とあります。さらに興味深い点は、民数記の方に記されているのですが、「のがれの町」がレビ人に与える町であったことです。
 先週の「恵泉」で、キリスト教プロテスタント派は、「万人祭司」の立場をとるため、クリスチャンがレビ人(レビ部族)の役割を担うことに触れました。その信仰に立つならば、現代版「のがれの町」も、私たちクリスチャンが、また教会として持つ必要があるのかもしれません。
 茨木聖書教会が、またこの地域のクリスチャンが、「のがれの町」的な役割を担うことで「あやまって」(民数記35章11節)「知らずに」(申命記19章4節)加害者になった方も、被害者の方も安心して生きられる社会を造り出すことに貢献できればと思います。祈りましょう。(吉持日輪生)

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