20151213 混乱の中、平安をいただくために2015年12月13日

主はエジプトが民に好意を持つようにされた。   出エジプト記11章3節

出エジプト記10章1節で「わたしは彼とその家臣たちを強情にした」とあり、今回の11章では同じ神さまが、上記の通り「好意を持つようにされた」とあります。「主なる神さま」の働きの豊かさ、幅の広さを感じさせられます。それだけではありませんモーセに対しても、エジプトに災いをもたらしている張本人であるにもかかわらず「モーセその人も、エジプトの国でパロの家臣と民とに非常に尊敬されていた」(出エジプト記11章3節)と記されています。なんとも不思議な状況です。ここまでのエジプトを取り巻く環境は、エジプト人の住む所には災いが下り、イスラエル人の所には下らないという状況です。このような状況が続く中、エジプト人がイスラエル人に好意を持ち、その災いのキーパーソンであるモーセを、パロの家臣までもが「非常に尊敬」するというのは、やはり異様です。しかしこの異様な状況は、恐らくこれまで続いてきた9つの災いに拠るところが大きいと感じます。環境の混乱が、人々の感情を乱し、人々の思考を錯乱させていったのでしょう。
私たちクリスチャンも、どんなに気をつけても、またどんなに細心の注意を払っていても、変化のただ中に置かれてしまうことがあります。それが人生です。けれども私たちクリスチャンには、常に変わらない、常に同じ「時間」と「空間」があります。それが礼拝の「時間」であり、神の家族の交わりという「空間」です。聖書に「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14章27節)、また「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16章33節)とある通り、私たちは、神さまに礼拝をお献げすることで、平安の内に2015年を終え、平安を持って2016年を迎えることができるのです。今日も礼拝を通して平安をいただきましょう。  (吉持日輪生牧師)