20150531 忍耐から生まれた信仰的財産2015年05月31日

それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」      創世記48章15~16節

これは、ヨセフの父ヤコブ(イスラエル)が、ヨセフの子どもたちエフライムとマナセを祝福した時の祈りです。ヤコブは、この祈りの中に自分の証詞を織り込んでいます。例えば「きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神」。兄エサウとの関係においても、母の兄ラバンとの関係においても、また晩年になってエジプトに移住したことも、すべて、神さまが私の羊飼いであったと告白しています。なんと素晴らしいことでしょう。また「すべてのわざわいから私を贖われた御使い」では、兄エサウを裏切ることで住み慣れたベエル・シェバを離れパダン・アラムへ向かう旅路でも、母の兄ラバンから受けた様々な仕打ちからも、そしてヨセフを失ったと思わされていた災いからも、また激しい飢饉からも、神さまは贖いだしてくださったことの証詞が込められています。そしてこれらの証詞には長い年月の忍耐が伴っていました。母の兄ラバンの元では20年間働きましたし、息子ヨセフとの再会までには22年間(エジプトの宰相に13年、その後7年間の豊作、そして飢饉の2年目に再会)かかっています。これらの忍耐の中で培われた羊飼いであり、贖い主である神さまとのお交わり。その信仰の財産をヤコブは、孫たちに届けたかったのです。
私たちも、神さまが私の羊飼いとして人生を導いてくださったことを、また様々な災いから贖い出してくださったことを、子どもたちに伝え、孫たちに伝えていく使命があります。これらの祝福を子どもたちに、孫たちに届けるために必要なものは忍耐です。忍耐をもって神さまの御業を見守っていきましょう。

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