20150524 「良い地」とは2015年05月24日

ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。
                           創世記47章11節

創世記47章にも、神さまの尽きることのない豊かな恵みと祝福がしっかりと記されています。その一つが、ヨセフとヨセフの父(ヤコブ)、そしてヨセフの兄弟たちが「エジプトの地で最も良い地、ラメセス」に住むことになったことです。神さまは、ヤコブ一族を大飢饉から守られるだけではなく、エジプトの最も良い地へと導かれたのです。このことは、ただ「良い地」に導かれたという恵みではありません。「良い地」「肥沃な地」だからこそ、イスラエルの民は、そこで増え続けることができたのです。イスラエルの民は、結局430年間ラメセスに住み続け、増え続け、そこから約束の地へと出発しました。
この創世記47章における「良い地」は、私たちに「良い地」への理解を深めさせてくれます。確かにラメセスは肥沃な「良い地」でしたが、周りの環境は決してイスラエルにとって「良い地」ではありませんでした。けれども神さまは、イスラエルのための「良い地」を異国エジプトの中に用意されたのです。この「良い地」はイエスさまが語る種蒔きのたとえ話(マタイ13章18~23節)の「良い地」とも違います。イエスさまの「良い地」は、他の「道ばた」「岩地」「いばらの中」との比較の中で、読み手に見るからに「良い地」との印象を残します。しかし創世記47章の「良い地」は違いました。異教の神々が礼拝され、異教の神々の像が建ち並ぶ、決して「良い地」ではありませんでした。しかし、そのラメセスが、イスラエルのために神さまが用意された「最良の地」だったのです。あなたにとっての「良い地」も、決して見るからに「良い地」ではないかもしれません。しかし、神さまがあなたのために用意してくださっている「良い地」であるならば、そこで必ず実が結ばれます。