20140413 祈りの人-小学3年生まで(静岡県浜松市)のこと-2014年04月13日

私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。                  第1テサロニケ3章10節

私の生まれは静岡県浜松市です。その頃父は浜松中沢教会の牧師をしていました。礼拝堂の裏に牧師館があり、牧師館も、礼拝堂も古い建物でした。小学生に上がる頃新会堂の話しが持ち上がり始めていました。それが1972年頃でしょうか。新しい礼拝堂、そして新しい牧師館の設計図を見ながら、牧師館が3階にできること、私と兄の部屋が10帖もあることにウキウキ、ワクワクしていたことを思い出します。教会は、祈りながら会堂建築の準備を進め、いよいよ契約という時、時代はオイルショックへと突入。資材は高騰し、当初考えていた予算での建築が難しくなりました。教会は祈りましたし、私も祈りました。社会状況などさっぱりわからない私は、大人から考えると当時ありえないと思える金額を具体的にあげて祈っていたそうです。父も、その祈りを聞きながら「子どもはいいなぁ・・・まず無理だろう」と私の祈りを聞いていたそうです。けれども神さまは、不思議なことに私が祈っていた金額で請け負ってくださる会社を与えてくださり、会堂建築が動き始めました。しかし、その会堂建築と同時に動いていた話しがあり、それが父の茨木聖書教会への転任の話しでした。
 父は、浜松中沢教会の方々と共に祈り、共に考え、共に悩み、共に苦しんでやっと建てられることになった新会堂を見ることなく茨木聖書教会へ転任し、私も本当に楽しみにしていた私と兄の10帖の部屋に入ることなく引越しとなりました。父は、この出来事以来私のことを「日輪生は、祈りの人だ」と褒めてくれましたが、そのような経験をした私も、近年は忙しさの中で祈ることができなくなっていると反省しています。
 もう一度「祈りの人」となれるように、みなさんも牧師と共に祈るために教会にいらしてください。朝6時からの早天祈り会をはじめ、水曜集会において、共に祈りましょう。共に祈り、共に「祈りの人」となりましょう。

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