20121223 偽善に気をつけなさい2012年12月23日

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。」 マタイの福音書6章1節

 上記の聖書箇所は、イエス様が偽善に気をつけることを教えているところです。偽善者という言葉は、新約聖書が書かれたギリシャ語で俳優を意味します。俳優は仮面を被り舞台でその役を演じる人のことです。偽善者とは演技をしている人のことです。すなわち本当の姿を隠して仮面を被り、別の人になりきって演技をしているのです。当時の宗教家であるパリサイ人や律法学者たちに対して、イエス様は「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。」と厳しく彼らの偽善を非難されました。
 偽善の問題は何を目的として行動しているかにあります。たとえ良い行いであったとしても、それが人に見せるためであったり、人にほめられたくてしたりするとき、偽善に陥ることになるのです。イエス様は偽善について警告した後で、具体的な例を取り上げています。それは施しです。他の人が困っているとき、その必要を満たすために、愛の心から助けを与える場合です。もしその良い行いが、自分自身への名誉や賞賛のために行われるなら、その行為は真の施しにならないとイエス様は指摘しているのです。神様は、神様を愛する人々が大いに施す人になって欲しいと願っています。しかしその施しにおいて、自分の名を高く上げるためにするなと言われるのです。ポイントは目的です。自分は何のために行っているのかを吟味することです。
 有名な作曲家バッハは教会音楽に大いに貢献した人です。彼が作品を書き終えたとき、その最後の部分に、「ただ神様のみがあがめられるように」と記したと言われています。偽善に陥らないためには、「神様のみがあがめられるように」という明確な目的を持つことです。ある人がこう言いました。「私たちが自分のしたことを覚えているとき、神様はそれを忘れ、私たちが自分のしたこと忘れたとき、神様がそれを覚えている。」と。偽善に陥らないためには謙遜であることです。本当に謙遜な人とは施しをした後で「私たちはなすべきことをしただけです。」という人です。

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