20121209 自分の敵を愛する2012年12月09日

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。』」            マタイの福音書5章43~44節

 神様の正しさの基準は私たちが思う以上に高いものです。上記のイエス様の言葉にそのことが良く表されています。当時の宗教家たちは、人の力で実行できるようにと神様の基準を人間的なレベルに引き下ろし、自分たちは神様の戒めを忠実に守っていると自画自賛したのです。しかしイエス様は、神の国に属する者に神様が求めておられる相応しいあり方をはっきりと教えられたのです。隣人愛は自分にとって親しい人々に実践されるだけでなく、たとえ自分の敵であっても隣人として実践すべきなのです。これは自分の力でできることではありません。神様の力をいただかなくてはできないことです。
 上記の「自分の隣人を愛し」とは旧約聖書の中に教えられています。レビ記19章には「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」とあります。さらに出エジプト記23章には「あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない」とあります。ダビデは詩篇35篇で、彼に悪を行う人が病になったとき、彼が荒布に着替えて、断食して、心を痛めてその人のために祈ったと記しています。また自分の友、兄弟、母に対するように泣き悲しんだとも記しています。
 ダビデは自分の敵さえも愛せよという神様の戒めを良く心得ていた人でした。ダビデのエン・ゲディのほら穴での出来事はその例です。ダビデたちがサウル王様に追われて、ほら穴に隠れているとき、たまたまそのほら穴にサウル王様が一人で無防備で入ってきたのです。ダビデの部下たちは神様が与えたチャンスとして殺害を進言しましたが、彼はサウル王様を見逃したのでした。ダビデがサウル王様を憎む理由は数多くありました。しかしダビデは悪に対して善をもって答えたのでした。
 神様の御心は自分の敵であっても、自分の家族、また友のように愛することです。

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