信仰に立った貪欲さ2022年10月23日

「東側の窓を開けなさい」と言った。王が開けると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす。」それからエリシャは、「矢を取りなさい」と言ったので、イスラエルの王は取った。そしてエリシャは王に「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。神の人は彼に激怒して言った。「あなたは五回も六回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを討って、絶ち滅ぼすことになっただろう。しかし、今は三回だけアラムを討つことになる。」   
                       列王記第二 13章17~19節

 上記聖書箇所の「預言者エリシャ」と「イスラエルの王(ヨアシュ)」のやり取りを読む時、ヨアシュ王の「預言者エリシャ」のことばに対する忠実さがしっかりと記されています。「東側の窓を開けなさい」(17節)と言われれば開け、「矢を射なさい」(17節)と言われれば矢を射、「矢を取りなさい」(18節)と言われれば矢を取っています。しかし18節で「神の人(預言者エリシャ)」はヨアシュ王に激怒しています。その理由は、預言者エリシャから「それ(取った矢)で地面を打ちなさい」と言われ、ヨアシュ王は、これまで通り「預言者エリシャ」のことば通り地面を打ちますが、その回数が三回だけだったことへの怒りでした。ヨアシュ王は、「預言者エリシャ」に「あなたは五回も六回も打つべきだった」(19節)と言われています。なぜヨアシュ王が3回しか地面を打たなかったのか聖書は何も記していませんが、神さまのことばに忠実であることの大切さと共に、信仰に立った貪欲さの大切さも教えられます。
 イエスさまもこのように語られています。

求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。        
                       マタイの福音書7章7~8節

 「神さまのことば」に忠実であると共に、「神さまのことば」を信じる信仰に立った貪欲さもしっかり持って私たちも歩みましょう。        (吉持日輪生)