「さばき」と「救い」2020年08月23日

そのとき、主はさばきつかさを起こして、略奪する者の手から彼らを救われた。                            士師記2章16節

主が彼らのためにさばきつかさを起こしたとき、主はさばきつかさとともにおられ、そのさばきつかさが生きている間、彼らを敵の手から救われた。これは、圧迫し、虐げる者を前にして彼らがうめいたので、主があわれまれたからである。                  士師記2章18節
 
 上記聖書個所に記されている「さばきつかさ」とは、「士師」のことで、それが「士師記」の書名にも使われています。ちなみに上記聖書個所の新共同訳とリビングバイブルは「さばきつかさ」を「士師」と訳しています。特にリビングバイブルでは「士師」の後に次のような説明も加えています。「王国設立までの、軍事的・政治的指導者」。まさにそのような存在が士師でした。
 さて上記士師記2章16節冒頭の「そのとき」とは、「イスラエルの民が主を捨て」(12節)、「主の怒りがイスラエルに向かい」(14節)、「略奪する者の手に渡し」「周りの敵の手に売り渡し」(14節)ていく「そのとき」です。
 「そのとき」神さまは、「さばきつかさ(士師)」を起こされました。聖書の神さまは、神さまに聞き従わない人々をさばかないではいられないが、同時にさばきの中で届く民の「祈り」「うめき」にも、あわれみをもって応えられるお方です。
 今も、神さまは、「さばき」と「救い」の両方を、聖書を通して私たちに与えてくださっています。神さまに聞き従わず「永遠のさばき」に入れられるのか、神さまがあわれみをもって備えてくださったイエスさまの十字架を受け入れ、「永遠のいのち」に入れられるのかです。また新型コロナウイルスの試みの中においても、私たちが神さまにうめき、叫ぶとき、神さまはあわれみをもって、この困難からの救いを必ず与えてくださいます。今週も、神さまに祈りつつ、歩みましょう。
                               (吉持日輪生)

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