これは空虚なことばではない2020年02月16日

これは、あなたがたにとって空虚なことばではなく、あなたがたのいのちであるからだ。このことばによって、ヨルダン川を渡って行って所有しようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くことになる。         申命記32章47節

 申命記32章1~43節まで、モーセがイスラエルの民に語った「歌のことば」が続きます。そしてそれを語り終えた47節に記されていることばが上記の聖書箇所です。「これは、あなたがたにとって空虚なことばではなく、あなたがたのいのちである」。
  「空虚なことばではなく、あなたのいのちである」。この箇所を読む時、新約聖書に出て来るイエスさまのおことばを思い出します。

 イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」                    ヨハネの福音書6章35節

わたしはいのちのパンです。          ヨハネの福音書6章48節

 聖書のことばは、今も変わることなく「空虚なことば」ではありません。聖書のことばに触れるひとりひとり、置かれている状況は違っても、聖書のことばによって「いのち」が与えられ、「希望」が与えられ、「生きる力」が与えられます。

 ですからイエスさまは、このようにも語られます。

イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。           ヨハネの福音書11章25節

 神さまのことばは、今生きている私たちに「いのち」を与えるだけでなく、この朽ちる体を脱ぎ捨てた後も、「いのち」を与えてくださる「いのちのことば」です。
 今週も、この「いのちのことば」である聖書のことばに親しみつつ歩みましょう。    (吉持日輪生)