エルサレム会議において2019年12月15日

そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません。        使徒の働き 15章19節
                     
 使徒の働き15章に書かれているエルサレム会議は、キリスト教が全世界に広がっていくか、ユダヤ人を中心とする特定のグループ内にとどまるかの分かれ目であったとも言われます。多くのギリシヤ人が福音を受け入れ、キリスト者となっていく一方で、ユダヤ人クリスチャンが持っていた文化、慣習を、ユダヤ人以外のクリスチャンがどこまで受け入れるべきかという課題がありました。特に、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒の働き15章1節)と教えるグループが、ユダヤからアンテオケに下って来てからは、パウロやバルナバと激しい論争になり、結果として、エルサレムにおいて使徒たちによる会議が開催されることになりました。異邦人(ユダヤ人以外)のクリスチャンにもモーセの律法を守らせるべきだと主張するパリサイ派のクリスチャン達に対して、ペテロは、自分たちユダヤ人でも負いきれなかった(守りきれなかった)律法を異邦人に課することは、神を試みることになると反論します。その後、バルナバとパウロによる異邦人宣教の祝福についての報告がなされた後で、イエスさまの兄弟であり、初代教会のリーダーでもあったヤコブが結論を宣言します。それはユダヤ人クリスチャンの持っていた文化(律法)を強要(押しつけ)することなく、かつ聖書の重要なメッセージ(偶像を避けることや隣人を愛すること)を無視(排除)することなく、異邦人クリスチャンに対して、偶像と不品行に対する注意を書き送るというものでした(使徒の働き15章19-21節)。エルサレム会議の決定は、文化や風習にキリスト者がどのようにあるべきかを示した最初の事例となりました。パウロはコリントのクリスチャン達にこのように教えています。「すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。」、「ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にもつまずきを与えないようにしなさい。」(コリント人への手紙第一10章23、32節)福音の中心的なメッセージと意味を損なうことなく、文化や風習、価値観を受け止めていくことは、過去二千年間、そして今も教会がチャレンジし続けている課題とも言えます。次回は、日本のキリスト教会が、土着化の結果として創り出してきた事例について紹介します。    (笠川路人)

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