聴くことの働きについて2019年07月28日

牧会ケアと教会外での対応
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
                 ヤコブの手紙 5章16節                                    
教会の中での聴く働きを「牧会ケア」とも言います。牧会という言葉は、牧師や伝道師といった教師に限られた働きのように聞こえますが、実際には信徒の立場で牧会ケアに関わるケースもあります。下の図は牧会ケアと呼ばれる、聴くことの働きの種類と、牧会ケアの範囲を超える心理療法のような対応について整理したものです。
(1)の助け手(聴き手)は、時間を取って相手の話を聴くことをする人のことを指します。聴くことについては得手不得手あると思いますが、助け手はクリスチャン誰もが携わることのできる奉仕です。その次は、(2)霊的な導き(メンタリングとも言います)という奉仕です。相手と定期的に会って、話を聴き、そして祈りを通して導いていく働きです。助け手としての「聴く」経験を積んでいく中で、霊的な導きに携わる資質が備えられて行きます。霊的な導きは、聴く働きに召された信徒リーダーや教職者によって提供されます。(3)牧会カウンセリングは、専門的な学びやカウンセリングの経験を持つ信徒や教職者によって提供されます。緊急かつ危機的な状況に対して、牧会カウンセリングは3か月や半年といった時間をかけて、その人の危機に関わっていくことになります。牧会カウンセリングでは対応しきれない、依存症や精神的な課題については、教会外の(4)心理療法の専門家に委ねることになります。
 「よい聴き手になるために」の著者である蔡香師は牧会ケアについてこのように説明します。「神に聴くこと、一人ひとりの魂に聴くこと。この二つが共に働くときに、初めて牧会ケアが成立します。どちらが欠けたとしても、牧会的な性質が失われてしまいます。神に聴くことがなければ、牧会ケアではなく、心理的ケアになります。魂に聴かない聖書談義は、牧会ケアではなく、一方的な講義になってしまいます。1」神さまの導きを求め、祈りを持って相手の話を親身に聴いていく牧会ケアの働きによって、神さまのいやしの御業が教会の中に広がっていくことを期待します。まず、私たち一人ひとりが「助け手」として、隣人の声に耳を傾けていくことができるようにと願います。(笠川路人)

1 蔡香 著「よい聴き手になるために」80頁

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