バルナバのように2018年03月11日

「彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、
大ぜいの人が主に導かれた。」       使徒の働き11章24節

 今週から茨木聖書教会の信徒教育コースであるバルナバコースについて紹介するシリーズを始めさせて頂きます。本コースは2016年から始まって、40名近い方が受講して下さっています。既に受講した方々にとっては、本シリーズが学んだことの復習になると思いますし、まだ受講していない方に対しては、コースについて興味を持って頂けるような内容になればと願っています。
まず初めに、「バルナバコース」という名前の由来ですが、それは使徒の働きの登場人物であるバルナバから来ています。「彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。」使徒の働き11章24節。私たち茨木聖書教会がモデルとするアンテオケ教会は宣教のビジョンに生きる教会でした。アンテオケ教会の力強い成長は、もちろん聖霊の働きによるものですが、その中心人物であったバルナバの性格、つまりキリスト者としての成熟さがあったことを見ることができます。実は、バルナバの本名はヨセフでしたが、彼の性格とその働きから、「バルナバ」(慰めの子もしくは勧めの子)という名前がつけられていました。(使徒の働き4章36節)ペテロやパウロと比べると、バルナバという人物の説明や記述は限られていますが、人々を慰め、励ますバルナバの素晴らしい賜物によって、アンテオケ教会に代表される初代教会が力強く成長したことは事実です。
バルナバのように「りっぱな人」と聖書に記される人になるのは容易ではありませんが、バルナバの賜物である、「慰め、励ます」ことが出来るキリスト者になりたいと私たちは願います。アンテオケ教会のビジョンを確認しながら、アンテオケ教会で活躍したバルナバについて学ぶ。特に、私たちの課題である人間関係(自分自身についても)を深く学びながら、キリスト者としての成長を目指すことがバルナバコースの特徴です。次回はバルナバコースの構成について具体的に紹介させて頂きます。(笠川路人)

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