証人となるために、知らぬふりをしていてはならない2018年02月11日

 あなたの同族の者の牛または羊が迷っているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。あなたの同族の者のところへそれを必ず連れ戻さなければならない。申命記22章1節

 申命記22章には、上記と同じようなことばが、1節以外にもいくつか出て来ます。3節「彼のろばについても同じようにしなければならない。彼の着物についても同じようにしなければならない。すべてあなたの同族の者がなくしたものを、あなたが見つけたなら、同じようにしなければならない。知らぬふりをしていることはできない」。4節でも「あなたの同族の者のろば、または牛が道で倒れているのを見て、知らぬふりをしていてはならない。必ず、その者を助けて、それを起こさなければならない」。
 新約聖書において印象に残る「見ぬふり、知らぬふりをして、助けなかった」場面は、ルカの福音書10章30節から記されている「良きサマリヤ人」です。イエスさまの有名なたとえばなしの一つですが、その話に最初に登場する祭司とレビ人は、強盗に襲われ半殺しになった人の反対側を通り「知らぬふりをして」通り過ぎて行ったと記されています。
 さて私たちが、「知らぬふりをしてはならない」理由は、大きく二つです。「良きサマリヤ人」のたとえを通して、イエスさまが「あなたがたも行って同じようにしなさい」(ルカの福音書10章37節)と促されているゆえに、私たちも「良きサマリヤ人」の姿に倣い、倒れている方に関わる必要があります。
 またもう一つの理由は、使徒の働き1章8節の最後「わたし(イエス・キリスト)の証人となります」です。「イエスさまの証人」となるために、私たちは日々様々なことの証人となる意識と訓練が必要です。そのような証人としての取り組みが、私たちの口を通して語られる「イエス・キリストは救い主です」との証言にも耳を傾けてもらえることになるのでしょう。
 今週も「イエス・キリストの証人」となるために、様々な身のまわりのことがらに関心を持ち、見て知らぬふりをすることのないようにしましょう。
(吉持日輪生)