神さまの備えがあるから一歩先へ2017年09月24日

アナク人と同じく、彼らもレファイムであるとみなされていたが、モアブ人は彼らをエミム人と呼んでいた。ホリ人は、以前セイルに住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにして、彼らに代わって住んでいた。ちょうど、イスラエルが主の下さった所有の地に対してしたようにである──
申命記2章11~12節

 向きを変えて出発し、荒野の旅を続けていく中、申命記2章には、神さまの備えがあったことが記されています。その一つが、上記聖書箇所ですが、これが神さまの愛の業であることは、次の聖書箇所と合わせて読むと、よりはっきりします。民数記13章28節「しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく、そのうえ、私たちはそこでアナクの子孫を見ました」。民数記13章33節「そこで、私たちはネフィリム人、ネフィリム人のアナク人を見た。私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう」。これは、約束の地を探りに行った12人の偵察隊の内10人の言葉でした。「アナク人」、または「ネフィリム人のアナク人」とは、先程の民数記聖書箇所から巨人であったことが伺えますが、イスラエル人は、そのような巨人が住む地に入るのは無理と決め込み、約束の地に入りませんでした。
 それから40年が経ち、いよいよ約束の地に入る時、上記聖書箇所や、申命記2章20~21節「──そこもまたレファイムの国とみなされている。以前は、レファイムがそこに住んでいた。アモン人は、彼らをザムズミム人と呼んでいた。これは強大な民であって数も多く、アナク人のように背も高かった。主がこれを根絶やしにされたので、アモン人がこれを追い払い、彼らに代わって住んでいた」を読む時、恐ろしいと思っていたアナク人のような人たちを、神さまがすでに取り除いていてくださったことがわかります。
 神さまは、私たちにとって恐ろしいと思える問題課題を取り除くことのできるお方です。そのことを知る時、私たちも、向きを変えて出発するその先に、どんなに恐ろしいものがあったとしても、神さまが、それを取り除いてくださるとの信仰を持って、前進することができます。今週も、主に信頼して、一歩先へと踏み出して行きましょう。(吉持日輪生)

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