忠実な預言者なのか、貪欲な預言者なのか2017年06月18日

彼らは正しい道を捨ててさまよっています。不義の報酬を愛したベオルの子バラムの道に従ったのです。            ペテロの手紙第二2章15節 

民数記23章、24章には、預言者バラムによる4つの預言のことばが記されています。一つ目は23章7~10節、二つ目は23章18~24節、三つ目が24章3~9節、四つ目が24章15~19節です。そして、そのすべてがイスラエルを祝福することばでした。バラク王は、三つ目の預言のことばを聞いたところで怒りを燃やします。しかし怒りたくなる気持ちもわかります。23章に記されている二つの預言を聞くためにバラク王は、預言者バラムの要請により祭壇を築くところから始めています。しかも一つの祭壇ではなく七つの祭壇を築き、七頭の雄牛と七頭の雄羊を献げています。しかもそれを二つの場所で行なっています。つまりバラク王は、労力をかけ、時間をかけ、多くの犠牲をはらったにもかかわらず、聞くことのできた預言のことばは、イスラエルを祝福することばだけでした。そのことを考えるとバラク王が怒りに燃えるのもよくわかります。
一方、私たちが民数記23章、24章を読みながら感じることは、預言者バラムの忠実な姿です。バラク王を恐れることなく、まっすぐに神さまからの預言のことばを語る預言者バラムの姿には感銘を受けます。しかし、新約聖書における預言者バラムの評価は、正反対です。上記冒頭に引用したペテロの手紙第二では「不義の報酬を愛したベオルの子バラム」と紹介され、ユダの手紙11節では「利益のためにバラムの迷いに陥り」と貪欲な預言者バラムの姿が紹介されています。ではいったいどこに預言者バラムの貪欲さがあったのでしょうか。そこには、民数記23章、24章を通して現わされている「決めたことを変えない神さまの姿」が関係してきます。そのことを知っていた預言者バラムは、民数記22章で最初に神さまから「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。その民をのろってもいけない」(12節)と語られながら、バラク王の手厚い誘いを断わり続けることができず、バラク王について行ってしまっています。そこに「預言者バラムの貪欲さ」があったのでしょう。
私たちも、貪欲さから解放され、変わることのない神さまの約束のことばを、しっかり握りしめ、今週も神さまと共に歩ませていただきましょう。(吉持日輪生)

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