伝道者の書-「エロヒーム:神」2016年08月14日

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。  伝道者の書 3章 10 節

 これまで、伝道者の書の中心的なテーマは何かを探るために、2つの言葉「ヘベル:むなしい、空(くう)」、「ヘレク:受ける分」に注目しました。その結果、「あらゆる結果は、労苦、仕事や生き方に起因しないためむなしいが、労苦や仕事自体を喜び、そこから得た日々の糧や夫婦関係を楽しむことが受ける分である」という教えが浮かび上がってきました。
 今日は、「エロヒーム:神」が主語で使われている箇所に注目します。その箇所に注目すると、神が人に与えているものや神と人との関係が浮かび上がってきます。今回もこれまで同様、紙面の都合もありますので、数箇所を紹介し、最後にまとめを記します。
「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。」       (伝道者の書3: 14)
「私は心の中で言った。『神は正しい人も悪者もさばく。そこでは、すべての営みと、すべてのわざには、時があるからだ。』」     (伝道者の書3: 17)
「実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」                  (伝道者の書5: 19, 20)
「神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。」(伝道者の書7: 13)
 「エロヒーム:神」が主語で使われている箇所をまとめると、神は、人に、労苦を与え、労苦から受ける分、それに関わる幸せも与えていることが分かります。また、神はすべてを司り、裁く方であり、神のなさることは、人間には分からず、変えることができないことが言われています。全体として、読者に、人間としての自覚を持ち、神を恐れて歩むようにと教えているように思われます。
 ここまで、3つの言葉に注目してきました。これらのことから分かることを2回に分けてまとめ、このシリーズを終えたいと思います。  (吉持尽主伝道師)

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