伝道者の書-まとめ12016年08月21日

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。    伝道者の書 12 章1節

このシリーズは、最初に、伝道者の書の全体的なテーマや主張は何かということを問いました。これまでのことをまとめると、全体的なテーマや主張は次のようになるでしょう。「神様があらゆる結果を決めると認め、労苦や生き方の結果はむなしいと知っていく時、人は労苦自体、また労苦から得る食物や夫婦関係を喜ぶことができる。そして、それらは神様から与えられているものである。」また、一言でまとめるのであれば、「労苦について」が中心的なテーマであり、主張でしょう。
 労苦とは、苦しみが伴うものです。それは、創世記3章に起因するもので、アダムが、呪いの結果、苦しみながら地から日々の糧を得なくてはならなくなったことからきています。伝道者の書では、労苦とは、苦しみが伴うことにより、人間としての自覚を持たせ、神様を恐れるためのものとして語られています。
 私たちには、日々、仕事や生き方からの様々な苦しみがあります。しかし、それは、伝道者の書における神様の視点から見れば、人間である以上、呪いゆえに当然に伴う苦しみなのです。ただし、労苦が単なる苦しみで無くなる道が、私たちには残されています。私たちは、労苦自体を喜び、労苦から得た生活の糧や夫婦関係を楽しむことが神様から与えられているからです。
 その一例として、パウロの例が挙げられます。パウロは、神様から福音宣教に遣わされる理由としてこう言われています。「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(使徒9: 16)パウロは、呪い、あるいは罰として福音宣教に召されたのです。しかし、彼の後の手紙でも分かるように、彼はその労苦を喜びとしています。このように、呪いや罰として与えられたものを喜ぶ道が神様から与えられているのです。
 そのためには、冒頭の聖書箇所から分かるように、神様がいることを認め、神様が全てを与えてくださっているという謙虚さを持つことが必要でしょう。日々神様の前に謙虚でありつつ、労苦を喜ぶ道へと共に導かれていきましょう。
(吉持尽主伝道師)