20130818 あわれみに満ちた神様2013年08月18日

「群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。」                     マタイの福音書9章36節

 大勢の人々が数か月にもわたりイエス様に従っていました。町から町へ、会堂から会堂へ、家から家へ、イエス様が行くところどこにでも彼らはついて行きました。イエス様はそのような人々をご覧になってかわいそうに思われ、引き続き、彼らに説教し、教え、癒し、仕えておられました。イエス様の奉仕の動機は、神様にしか持ちえない人々への深いあわれみでした。人々の悲しみ、痛み、苦しみ、弱さに対してイエス様もともに悲しみ、痛み、苦しみ、その弱さを感じ、お心に受け留められました。
 イエス様が病を癒されたとき、しばしば手を伸ばしてその人に触れて癒されたとあります。そこにイエス様の深いあわれみの心が表されています。あるとき、ハンセン氏病の重い病を罹っていた人がイエス様のところにやって来ました。宗教家である律法学者やパリサイ人ならばこの人を決して受け入れることはせず、むしろ恐ろしい剣幕で怒鳴り、石を投げつけたことでしょう。当時の人々はこのような人が近づくだけで病気が移り、また宗教的にも汚れると恐れていたからです。しかしイエス様はこの人を深くあわれんで受け入れられました。そして手を伸ばして「わたしの心だ。きよくなれ。」と言われ、彼に触って癒されたのです。どんな病も一言で癒すことができたイエス様が、なぜわざわざ手を伸ばし彼に触れていやされたのでしょうか。それはイエス様のあわれみの愛を示しているのです。この人はこの病のゆえにだれからも触れてもらえない人でした。イエス様は触れて欲しいと願うこの人の心を見抜いて、手を伸ばして触れられたのでした。イエス様のこの行為は彼の病と彼の苦しみをご自分の身に引き受けられたことを意味したのでした。
 神様はあわれみに満ちたお方です。私たちは神様の御子イエス様のお姿の中に神様のあわれみに満ちたご性質を見ることができるのです。

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