聖書が教える人間関係 ― 2018年12月30日
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 創世記 1章27節
今回からバルナバコースの5回目である「聖書が教える人間関係」の内容に入ります。私たち誰もが良い人間関係を持ちたい、維持したいと願います。しかし、人間関係ほど複雑で難しいものはありません。表面上はうまくいっていると思っていても(見えていたとしても)、私たちの心の中では他の人との関係の中でわだかまりを持ったり、ストレスを感じたりします。特に日本人は「はい」ではなく「いいえ」もしくは「違います」と言うのが苦手だと言われていますが、事を荒立てないために人間関係で我慢することがしばしば起こると思います。家族の中で、友人関係の中で、そして教会の人間関係の中で起こってくる様々な課題に対して、私たちはどのように対応したらよいでしょうか。書店に行けば、例えば、「人付き合いをうまくする方法」や「誰にでも好かれる生き方」のような人間関係に関する本を見つけることができます。しかし、クリスチャンは聖書が教え、聖書の中に語られていることから人間関係について学ぶことができます。
創世記1-3章には天地創造から人間の堕落までのストーリーが書かれていますが、人間とはそもそも何者なのか、そして何が人間にとっての問題となったのかが説明されている箇所でもあります。まず、最初に、人間は神さまのかたちとして創造された(創世記1章27節)存在であり、「見よ。それは非常に良かった。」(創世記1章31節)と評価される存在だったことを知ることが大切です。さらに1章26節で神さまご自身が「われわれ」と複数形で語られていることから、神さまのかたちとして創造された人間も当然のことながら、関係の中で生きる存在として生み出されたことが分かります。それでは次回は創世記2-3章から、関係性を持つ存在として創られた人間について聖書から詳しく見ていきましょう。
(笠川路人)
今回からバルナバコースの5回目である「聖書が教える人間関係」の内容に入ります。私たち誰もが良い人間関係を持ちたい、維持したいと願います。しかし、人間関係ほど複雑で難しいものはありません。表面上はうまくいっていると思っていても(見えていたとしても)、私たちの心の中では他の人との関係の中でわだかまりを持ったり、ストレスを感じたりします。特に日本人は「はい」ではなく「いいえ」もしくは「違います」と言うのが苦手だと言われていますが、事を荒立てないために人間関係で我慢することがしばしば起こると思います。家族の中で、友人関係の中で、そして教会の人間関係の中で起こってくる様々な課題に対して、私たちはどのように対応したらよいでしょうか。書店に行けば、例えば、「人付き合いをうまくする方法」や「誰にでも好かれる生き方」のような人間関係に関する本を見つけることができます。しかし、クリスチャンは聖書が教え、聖書の中に語られていることから人間関係について学ぶことができます。
創世記1-3章には天地創造から人間の堕落までのストーリーが書かれていますが、人間とはそもそも何者なのか、そして何が人間にとっての問題となったのかが説明されている箇所でもあります。まず、最初に、人間は神さまのかたちとして創造された(創世記1章27節)存在であり、「見よ。それは非常に良かった。」(創世記1章31節)と評価される存在だったことを知ることが大切です。さらに1章26節で神さまご自身が「われわれ」と複数形で語られていることから、神さまのかたちとして創造された人間も当然のことながら、関係の中で生きる存在として生み出されたことが分かります。それでは次回は創世記2-3章から、関係性を持つ存在として創られた人間について聖書から詳しく見ていきましょう。
(笠川路人)
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