私の祈り2025年10月05日

私が呼ぶとき 答えてください。
私の義なる神。
追いつめられたとき
あなたは私を解き放ってくださいました。
私をあわれみ 私の祈りを聞いてください。       詩篇4篇1節

 前回、詩篇1篇は「人」、詩篇2篇は「王、君主」、そして詩篇3篇は「敵」と、詩篇のテーマの流れを書きました。今回、詩篇4篇を読んだ時の最初の印象は「(漢字の)私」ということばです。冒頭引用個所でも「私が呼ぶとき」「私の義なる神」「私を解き放って」「私をあわれみ」「私の祈り」と「私」が多数登場しています。
 そこで「(漢字の)私」に注目して詩篇1篇から読み返すと、詩篇1篇は0回、詩篇2篇は2回、詩篇3篇、4篇は、ほぼすべての節に登場します。詩篇について「詩篇は祈りです」と言われる理由から考えても、「私」が良く登場するのでしょう。そして私たちも、またどの時代のクリスチャンも、詩篇を読みつつ、今自分が抱えている問題課題と重ね「私の祈り」として読み親しむことができるのでしょう。

人の子たちよ いつまで私の栄光を辱め
空しいものを愛し
偽りを慕い求めるのか。          セラ
知れ。
主はご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。
私が呼ぶとき 主は聞いてくださる。           詩篇4篇2~3節

 「主はご自分の聖徒を特別に扱われる」。そのような神さまに、私たちは個人的につながり、「私の祈り」を届けることができるのです。これは本当に大きな恵みです。
 今週も、私たちのことを特別に扱ってくださる神さまに祈りつつ、神さまと共に歩みましょう。   (吉持日輪生)

とこしえまでも喜び歌おう2025年10月12日

指揮者のために。フルートに合わせて。ダビデの賛歌。 
                                詩篇5篇

 詩篇を読む中で、興味を抱く一つは、詩篇に登場する当時の楽器です。詩篇5篇では、冒頭に「フルート」が登場します。詩篇4篇の冒頭では「弦楽器」も登場していました。
 現代の「フルート」が、管楽器であるように、詩篇5篇に登場する「フルート」も、息を吹き入れて音を鳴らす楽器と考えられます。そしてその音を鳴らす「息」は、旧約聖書の中において、下記のような特別な意味を持っています。

神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
                                創世記2章7節

 「いのちの息」とあるように、「息」と「いのち」との間には、密接なつながりがありました。ゆえに「息」を吹き入れて音を鳴らす楽器も、「いのち」に満ちた楽器、「いのち」を満たし、「いのち」を届ける楽器として用いられていたのかもしれません。そのような視点で、詩篇5篇を読み返すと、「息」とつながる単語が、いくつか登場しています。息を吐いて発する「私のことば」「私のうめき」(1節)、「私の叫ぶ声」(2節)、「私の声」(3節)。このように様々な「息を吐いて発する」ことばを読むと、そこにはフルートの様々な音色を感じます。
 そして詩篇5篇は、このように語ります。

どうか あなたに身を避ける者がみな喜び
とこしえまでも喜び歌いますように。
あなたが彼らをかばってくださり
御名を愛する者たちが あなたを誇りますように。   詩篇5篇11節

 神さまに、「私のうめき」「私の叫ぶ声」といった「息」を届け、神さまに身を避ける時、その「息」は、「喜び歌う息」へと変えられていくのです。
 今週も、「私のうめき」「私の叫ぶ声」を神さまに届け、私たちの「息」を、神さまに「とこしえまでも喜び歌う息」へと変えていただきましょう。 (吉持日輪生)

神さまの前では正直に2025年10月19日

詩篇6篇6節(ChatGPT作成の画像)
私は嘆きで疲れ果て
夜ごとに 涙で寝床を漂わせ
ふしどを大水で押し流します。            詩篇6篇6節

 詩篇には、様々な魅力がたくさん詰まっています。冒頭で引用した節は、漫画や、アニメのワンシーンのようです。
 「涙で寝床を漂わせ」。これは、泣き過ぎてたくさんの涙が流れた結果、寝床が濡れたレベルではなく、寝床が漂うほどだということです。さらに「ふしど(臥所、寝るところ)を(涙の)大水で押し流した」という表現も、漫画的、アニメ的な描写です。
 それ程に激しく涙を流し続ける理由が、1節に記されています。

主よ 御怒りで私を責めないでください。
あなたの憤りで私を懲らしめないでください。   詩篇6篇1節

 主(神さま)からの「御怒り」「責め」、そして主(神さま)からの「憤り」「懲らしめ」により詩篇作者は大泣きしていたのです。しかしその先を読むとこのように記されています。

不法を行う者たち みな私から離れて行け。
主が私の泣く声を聞かれたからだ。
主は私の切なる願いを聞き
主は私の祈りを受け入れられる。          詩篇6篇8~9節

 主(神さま)は、私たちが、嘆き、責められ、懲らしめられる時、素直に、また取り乱して、泣き、叫び、涙を流し、神さまに祈る時、そのような私たちを、優しく受け止めてくださるお方です。今週もそのような神さまの前に正直に歩みましょう。 (吉持日輪生)

心の直ぐな人となろう2025年10月26日

彼は穴を掘って それを深くし
自分が作った穴に落ち込みます。               
その害悪は自分の頭上に戻り
その暴虐は自分の脳天に下ります。       詩篇7篇15~16節

 冒頭聖書個所を読みながら、日本の「墓穴を掘る」ということばを思い出しました。その意味は「自ら自分が不利になる状況をつくること」と国語辞典にあります。詩篇7篇の文脈では、15節の前節14節で「不法を宿し 害悪をはらみ 偽りを産む」存在のことに触れています。つまり「不法を宿し 害悪をはらみ 偽りを産む」彼は、誰かをおとしめようと「穴を掘り」、さらに深い穴におとしめようと、その穴をさらに「深く」掘ったら、自分で掘った穴に落ちた、という内容です。日本の「墓穴を掘る」よりもさらに悪い状況が記されています。
 いつの時代も悪は、害悪は、深みに向かいます。そしてその害悪に対して、私たちの力不足を強く感じます。ですから詩篇作者の目は、意識は、神さまに向かいます。

主よ 御怒りをもって立ち上がり
私の敵の激しい怒りに対して ご自身を高くし
私のために目を覚ましてください。
あなたはさばきを定められました。        詩篇7篇6節

どうか 悪しき者の悪が後を絶ち
あなたが正しい者を堅く立てられますように。
正しい神は 心の深みまで調べられます。
私の盾は神にあり
神は心の直ぐな人を救われます。        詩篇7篇9~10節

 私たちも「墓穴を掘らない」ために、害悪に直面し、辛い思い、悲しい経験した時には、自分の力で何とかしようとするのではなく、「心の直ぐな」思いで、まず神さまに、正しい神さまに訴えるようにしましょう。        (吉持日輪生)