「主のさばき」にゆだねる2025年06月22日

ヨブのことばは終わった。               ヨブ記31章40節b

 ヨブ記29章から続いていたヨブのことばは、上記に引用した個所で終わります。そして来週取り上げるヨブ記32章は次のように始まります。

この三人はヨブに答えるのをやめた。ヨブが自分を正しいと思っていたからである。                      ヨブ記32章1節

 確かにヨブは、これまで何度も確認してきたようにヨブ記1章で「この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた」(ヨブ記1章1節)、「誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者」(ヨブ記1章8節)」、「誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者」(ヨブ記2章3節)と紹介されてきました。
 そしてヨブとヨブの友人三人との対話も、振り返るとヨブの「正しさ」を巡るやり取りでした。ヨブは自らのことを「正しい」と語り、ヨブの友人たちは、ヨブのことを「正しくない」と語っていました。例えば、テマン人エリファズは下記のように語りました。「人は神の前に正しくあり得ようか。その造り主の前にきよくあり得ようか」(ヨブ記4章17節)。それに対してヨブは、次のように主張しています。「思い直してくれ。不正があってはならない。思い直してくれ。私の正しさが問われているのだ」(ヨブ記6章29節)。
 そしてそのようなヨブとヨブの友人たちの対話を読みながら、私たちもヨブの主張が正しいのか、ヨブの友人たちの主張の方が正しいのかと、「正しさ」について思い巡らすことになります。しかし聖書は、下記のように語ります。

主からの恐れはきよく とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり ことごとく正しい            詩篇19篇9節

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、                   へブル人への手紙9章27節

 罪人の私たちが「正しさ」を判断する時、そこに間違い、誤りが生じるからこそ、私たちは、「主のさばき」にゆだね、祈るしかありません。今週も「主の正しいさばき」が行われるように祈りつつ歩みましょう。    (吉持日輪生)

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