「悪」と「わざわい」、「ラア」と「ラア(フ)」2016年06月19日

神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。
                           ヨナ書3章10節

今回も引き続き、日本語では分かりづらいヘブライ語の特徴に注目していきましょう。今回は、「悪」と訳される「ラア」と「わざわい」と訳される「ラア(フ)」※について見ていきましょう。
ヘブライ語の「ラア」と「ラア(フ)」は強く関連しています。創世記6章5節にはこう記されています。「【主】は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」ここでの「悪」は「ラア(フ)」、「悪い」は「ラア」なのです。つまり、「ラア」も「ラア(フ)」も「悪」という意味が核となった単語なのです。
この理解の上で上記の箇所を見てみましょう。悪の道にいた彼ら(ニネベの人々)が、立ち返ろうとした。つまり、「ラア」をやめて、立ち返ろうとしたのです。すると、神からのわざわいがなくなった。つまり、神からの「ラア(フ)」がなくなったということです。このことから、人間が「ラア」をすると、神からの「ラア(フ)」が下るという仕組みがあることが分かります。日本語訳すると、人間が「悪」を行うと、神が「悪」を下すとなってしまいますが、神が悪を行うことはありませんから、わざわいが適しているでしょう。いずれにしろ、人間が「悪」を行うときに、それに呼応して、神からの「わざわい」があるのです。ヘブライ語を見ると、このような関係性が、はっきりとしてきます。
さて、私たちが普段生活していると、わざわいとも思える悪いことが起きます。それをすぐに人や環境のせいにするのではなく、まずは自分自身を省みてはどうでしょうか。聖書では、人間関係のこじれもわざわいの一つとして扱われています。自らの生活で、特に人間関係で問題を抱えた場合、まずは、自分に悪がなかったか、それを考える必要があるでしょう。(吉持尽主伝道師)

※ラア(フ)の(フ)は、発音上あまり聞こえないが、表記上は(フ)に近い音があるため、このように記している。

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