神さまの自由なお働き2020年11月15日

彼(サムソン)の父と母は、それ(無割礼のペリシテ人から妻を迎えること)が主によることだとは知らなかった。主は、ペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのである。そのころ、ペリシテ人がイスラエルを支配していた。
                             士師記14章4節
 
 上記聖書個所で取り上げられている「無割礼のペリシテ人との結婚」は、現代の教会に当てはめると「クリスチャンとクリスチャンでない人との結婚」という感じでしょうか。
 コリント人への手紙第二6章14節前半で「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません」とあり、私たちの教会でも「クリスチャンとクリスチャンでない人との結婚」は、勧めない傾向にあります。
 しかし、サムソンの出来事を読む時、神さまの自由さを教えられます。神さまは、私たちが聖書の信仰に立ち、大切にしていることとは全く違う、全く正反対のことを、目的とご計画をもってなされるのです。そして士師記14章には、他にも神さまの自由さを感じさせる個所があります。それは、6節と19節です。

このとき、主の霊が激しく彼(サムソン)の上に下ったので、彼はまるで子やぎを引き裂くように、何も手に持たず獅子を引き裂いた。サムソンは自分がしたことを父にも母にも告げなかった。                士師記14章6節

そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民を三十人打ち殺し、彼らからはぎ取って、謎を明かした者たちにその晴れ着をやり、怒りに燃えて父の家に帰った。      士師記14章19節

 上記聖書個所にある通り「主(神さま)の霊」も、自由にサムソンの上に下っています。
 今週も、神さまの自由なお働きに期待しつつ、ワクワクしながら、ドキドキしながら歩ませていただきましょう。   (吉持日輪生)