あなたにとっての「逃れの町」2020年07月12日

主はヨシュアに告げられた。「イスラエルの子らに告げよ。『わたしがモーセを通してあなたがたに告げておいた、逃れの町を定めよ。意図せずに誤って人を打ち殺してしまった殺人者が、そこに逃げ込むためである。血の復讐をする者から逃れる場所とせよ。…』」                  ヨシュア記20章1~3節

 この「逃れの町」の考えは、出エジプト記21章、つまりモーセの十戒が記されている出エジプト記20章の次の章に既に記されています。

ただし、彼に殺意がなく神が御手によって事を起こされた場合、わたしはあなたに、彼が逃れることができる場所を指定する。 
                              出エジプト記21章13節

 上記出エジプト記の記述を読む時、「逃れの町」の考え方が見えてきます。私たち人間の理解は「意図せず誤って人を打ち殺してしまった」(ヨシュア記20章3節)なのですが、それは「殺意がなく神が御手によって事を起こされた」(出エジプト記21章13節)出来事なのです。その人が殺したのではなく、神さまの御手によって起こされた出来事ゆえに、その殺人者には、「逃れの町」が用意されるということです。
 この考え方は、聖書全体から私たちが教えられるものです。例えば、新型コロナウイルスの出来事も、「神さまの御手によって起こされた出来事」と考えます。また一生懸命努力し、準備しても道が開かれず、求めていたものとは違う道に進むことになる場合も、「神さまの御手によって起こされた」と考えます。
 そのような時の私たちの「逃れの町」とは、何でしょうか。それは、神さまとの祈りの時間であり、また礼拝の時間です。一週間の「神さまの御手のわざ」を思い返しつつ、日常から「逃れ」神さまの前に出る主日礼拝の時間。日々の「神さまの御手のわざ」を思い返しつつ、生活から「逃れ」神さまの前に出るデボーションの時間などは、私たちの「逃れの町」です。それは「逃げる町」ではなく、明日につなげるために「逃れる町」です。今週も、「逃れの町」の時間を、また機会を大切にして歩みましょう。                     (吉持日輪生)

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