7日目のときの声2020年04月12日

七日目、朝早く夜が明けかかるころ彼らは起き、同じようにして町の周りを七周回った。この日だけは町の周りを七周回った。七周目に祭司たちが角笛を吹き鳴らしたとき、ヨシュアは民に言った。「ときの声をあげよ。主がこの町をあなたがたに与えてくださったからだ。           ヨシュア記 6章15~16節

 ヨシュア記6章を読んでの最初の疑問、違和感は、7日目に活動していることです。しかも、それまでの6日間以上の一番の活動をしていることです。7日目は休むという「安息日規定」が、全く尊重されていません。

神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。                  創世記 2章2節

安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。六日間働いて、あなたのすべての仕事をせよ。七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはいかなる仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子や娘も、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、またあなたの町囲みの中にいる寄留者も。  
                       出エジプト記 20章8~10節

 しかし、ちょうどイエスさまの復活をお祝いするイースターを思う時、次の聖書のことばと重なります。

終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
                   コリント人への手紙第一 15章52節

 この個所をそのように理解すると、「エリコの城壁崩壊」は、まさに私たちにとっては、イエスさまの復活によって「死」が打ち破られたことの型であり、私たちが7日目に集まり、「ときの声」ではないけれども、賛美を神さまに、イエスさまに献げることの型と言えます。
 これからも主の復活を覚え、主の日、日曜日に集まり、「ときの声」「賛美の声」を上げましょう。献げましょう。            (吉持日輪生)