伝道の主人公は誰か2019年10月20日

また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。                    マタイの福音書 28章20節     

今回は伝道の主人公について考えたいと思います。伝道をするのは誰かという話です。高校時代の挫折経験から、私は長い間、伝道に対して苦手意識を持っていました。伝道したいと思ってもなかなか踏み出せない、躊躇してしまう自分がいました。クリスチャンが人口の2割や3割、キリスト教が文化や生活に根ざしている国であれば、クリスチャンであることは普通のことで、教会と関わる接点も多いでしょう。しかし、クリスチャンが人口の約1%の日本での伝道を考える時に、たった一人で未信者99人の魂の責任を負っているような感覚になることがあるでしょう。大切なことは、クリスチャンの人口の多い少ないや、文化や伝統に関係なく、伝道は神さまが主体となって働かれるという事実を知ることです。イエスさまの大宣教命令の最後の言葉は、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」という約束です。私たちは決して一人ではなく、イエスさまと共に宣教そして伝道の働きを進めていくのです。
私自身も、様々な伝道の機会を頂く中で、伝道の働きは神さまが主体として進められるものなのだという感覚を持つようになりました。宣教学の分野においては、「神の宣教の働き」(Missio Dei:ミッシオデイ)という概念があります。これは、「天地創造から被造物すべてに注がれている創造主なる神さまの愛と、人類の歴史を通して神さまご自身を現わされる働き、そして地上の教会を通してイエス・キリストの救いをもたらされる神さまの御業が全世界に広がっている」という考え方です。私たちは、世界でそして日本に広がり続けている「神の宣教の働き」の一部を担い、参加しているのだと考えます。もし「神の宣教の働き」の考え方に沿うならば、伝道における得意や苦手、成功や失敗、達成や未達成にとらわれることなく、シンプルに伝道の主人公である神さまの働きをお手伝いさせて頂くのだと思えたら幸いです。次回からは、もう少し詳しく、伝道そのものについて考察を進めていきます。(笠川路人)