バルナバの人物像2018年04月22日

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。                     使徒の働き11章24節

キプロス人とクレネ人による伝道から始まったアンテオケ教会の宣教は、バルナバの働きによって、さらなる祝福を受けることになりました。立派な人物であり、聖霊と信仰に満ちている人であったと、素晴らしい評価をされたバルナバは、いったいどんな人だったのでしょうか。バルナバが最初に登場するのは使徒の働き4章36節です。彼は祭司の家系であるレビ族に生まれ、元々はヨセフという名前でした。しかし、その性格と人柄から、使徒たちから「バルナバ(慰めの子)」と名付けられ、呼ばれるようになったことが分かります。「慰め」という単語は、「言葉を持って勧め励ます」という意味もあり、バルナバが人々を励ます賜物を持って活躍していたことが想像できます。使徒の働き6章ではステパノやピリポを始めとする、使徒以外の7人のリーダーが選ばれますが、7人に先んじて、バルナバが4章の終わりで紹介されているのは注目すべきことでしょう。人を慰め、励ます賜物を持つバルナバは、話をしっかりと聴くことが出来る人物でもありました。9章において、回心したサウロ(後のパウロ)が、弟子たちの仲間になかなか入れずにいたところに、助けを差し伸べたのがバルナバでした。「ところが、バルナバは彼を引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、彼がダマスコへ行く途中で主を見た様子や、主が彼に向かって語られたこと、また彼がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた様子などを彼らに説明した。」(使徒の働き9章27節)「引き受ける」という単語は、「しっかりと握る、掴む」という動作を表しています。つまり、バルナバはサウロを受け入れ、彼の話をじっくりと聴き、その回心と信仰が本物であることを確認し、使徒たちにその内容を細かく説明しました。そのような人物であったバルナバですから、アンテオケの教会においても大いに用いられ、結果として、大ぜいの人が主に導かれる(24節)ことになりました。新しい弟子にあふれるアンテオケ教会を見た時、バルナバが弟子たちの教育のために選んだパートナーは、自らが引き受け、教会の一員となったサウロでした。次回はアンテオケ教会において実施された、バルナバとサウロの最強タッグによる弟子教育について紹介します。(笠川路人)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://mikotoba.asablo.jp/blog/2018/04/22/8830759/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。