ささげ方とその分け方2017年02月26日

車二両と雄牛四頭をゲルション族にその奉仕に応じて与え、車四両と雄牛八頭をメラリ族に、祭司アロンの子イタマルの監督のもとにある彼らの奉仕に応じて与えた。しかしケハテ族には何も与えなかった。彼らの聖なるものにかかわる奉仕は、肩に負わなければならないからである。                      民数記7章7~9節

 民数記7章には、「祭壇奉献のささげ物」について記されています。その内容は、とても単調ですが、注目すべきテーマがあります。それは「ささげ方とその分け方」です。
 7章2~9節には「部族の長たちで、登録を担当した者」のささげ物について記されています。その内容は「彼らはささげ物を主の前に持って来た。それはおおいのある車六両と雄牛十二頭で、族長ふたりにつき車一両、ひとりにつき牛一頭であった。彼らはこれを幕屋の前に連れて来た」(民数記7章3節)。また7章10~83節には、「族長たちからのささげ物」について記されていますが、その内容は、ひとりひとり全く同じで、「銀の皿一つ、その重さは百三十シェケル。銀の鉢一つ、これは七十シェケルで、聖所のシェケルによる。この二つには穀物のささげ物として、油を混ぜた小麦粉がいっぱい入れてあった。また香を満たした十シェケルの金のひしゃく一つ。全焼のいけにえとして若い雄牛一頭、雄羊一頭、一歳の雄の子羊一頭。罪のためのいけにえとして雄やぎ一頭。和解のいけにえとして雄牛二頭、雄羊五頭、雄やぎ五頭、一歳の雄の子羊五頭」です。これが族長ひとりのささげ物でした。このように「ささげ物」の内容は、ひとりひとり同じなのですが、その分け方には違いがありました。それが上記聖書箇所です。
 「部族の長たちで、登録を担当した者」のささげ物は、全部で「おおいのある車六両と雄牛十二頭」でしたが、その分け方は「ゲルション族に車二両、雄牛四頭」「メラリ族に車四両と雄牛八頭」、そして「ケハテ族には何も与えなかった」とあります。その理由は、簡単に言うと「必要なかったから」ですが、違和感を覚えます。
 これと同じ姿勢が、現在の教会にも受け継がれています。教会は、豊かな人や、ごく一部の人の献金で成り立っているのではなく、ひとりひとりの尊い献金によって営まれています。けれどもその分け方、使われ方は、まさに必要に応じてです。今日もあなたの尊い献金が、必要なところで用いられ、教会の働きが進められていきます。祈りつつ献げ、また献げたものが必要な所で用いられるように祈りましょう。(吉持日輪生)