「ここ」から出発しよう!2016年09月18日

 主はモーセに仰せられた。「あなたも、あなたがエジプトの地から連れ上った民も、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地にここから上って行け。     出エジプト記33章1節 

 主(神さま)は、モーセに「ここから上って行け」と言われていますが、モーセの立っていた「ここ」とは、どのような状況、どのような場所だったのでしょうか。32章の流れから言える「ここ」とは「イスラエルの民が罪を犯した」「ここ」であり、また「金の子牛を造った」「ここ」でした。そして33章で示されている「ここ」は、「わたし(神さま)は、あなたがたのうちにあっては(一緒に)上らない」(3節)と言われた「ここ」であり、「悪い知らせを聞いて悲しみ痛み、だれひとり、その飾り物を身に着ける者はいなかった」(4節)「ここ」です。
 神さまは、アブラハムにも「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て」(創世記12章1節)と、住み慣れた地という「ここから」出発するように言われています。またイエスさまも、お弟子さんたちがイエスさまの弟子となった原点の「ここ」ガリラヤで、「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」(マタイ28章19節)と語られています。
 そして今、あなたにも神さまは、「ここから上って行け」と語られます。それに対して私たちは「今は、忙しいです」「今は、難しいです」「もう少し先に行けば、行けると思います」と言いたくなる私が「ここ」にいます。けれども全てを知っておられる神さまは、あなたの「忙しい生活」も、「あなたの罪深さ」も、「あなたの弱さ」も、「あなたの欠け」も全て知っておられ、その上であなたに今「ここから上って行け」と語られているのです。
 私たちは、今週も、今、自分が置かれている「ここ」をしっかりと把握し、また自覚し、「ここから上って行け」と言われる神さまにお従いして行きましょう。当たり前のことですが、私たちは「ここ」からしか出発できないのですから。「ここが出発点」(この週報の表紙の言葉)。           (吉持日輪生)

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