20160417 祭司の務めを担うために2016年04月17日

また、あなたの兄弟アロンのために、栄光と美を表す聖なる装束を作れ。
                       出エジプト記28章2節
バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。           ガラテヤ人への手紙3章27節

出エジプト記28章は、アブラハムの兄アロンとその子らが、祭司として神さまに仕える時に、身に着けるもののことが記されています。その目的は、上記最初に記した聖書箇所にある通り「栄光と美を表す」ことでした。そこに使われた色は「金色や、青色、紫色、緋色」(5節)、さらに12部族にあわせて12種類の宝石「赤めのう、トパーズ、エメラルド」(17節)、「トルコ玉、サファイヤ、ダイヤモンド」(18節)、「ヒヤシンス石、めのう、紫水晶」(19節)、「緑柱石、しまめのう、碧玉」(20節)が使われたことが記されています。これらの鮮やかな色と12種類の宝石をもって神さまに仕える祭司の「栄光と美」を表したのでしょう。
では、今日「万人祭司」と呼ばれる私たちクリスチャンには、どのような「栄光と美」の装束が用意されているのでしょうか。そのことが記されているのが、上記2つ目の聖書箇所です。私たちには、キリストという装束が用意され、その服を着て私たちは祭司の務めを行うことができるのです。
旧約聖書時代の祭司が、この「栄光と美を表す聖なる装束」を着て祭司の務めを果たしていたように、私たちも「キリストを身に着」なければ祭司の務めを担うことはできません。マタイ22章に記されている「王子のために結婚の披露宴を設けた王」のたとえ話の中でも、「ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた」(マタイ22章11節)とあり、神さまの前に出るためには「キリストという礼服」が必要なのです。また出エジプト記28章には「栄光と美を表す聖なる装束」を着る理由として「彼らが咎を負って、死ぬことのないため」(43節)と記されています。ですから今週も、キリストを身に着て、神さまと人々をつなげる祭司の務めをしっかり担っていきましょう。                  (吉持日輪生牧師)