20160221 復讐の連鎖を断ち切る ― 2016年02月21日
目には目。歯には歯。手には手。足には足。やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。 出エジプト記21章24~25節
上記のような法律を「同害報復法」と呼びます。「目には目。歯には歯。」のことばで有名な法律は、紀元前18世紀のハムラビ法典です。この法典は、上記聖書箇所の時代、つまりモーセが出エジプトをなした時代より約300年前のものと言われています。そのため旧約聖書のこの「同害報復法」は、ハムラビ法典に影響を受けたと考えられたり、説明されたりしますが、神さまに似せて造られた人間の中に神さまが授けて下さった、人間社会悪化を避ける最低限の法律と言えます。この法律を守るならば、歴史の中で何度も繰り返され、現代社会でも見られる復讐のエスカレートを避けることができます。例えばAさんが私の目を痛めつけます。そうすると罪深い私は、Aさんの目だけでなく歯も痛めつけたくなります。そして私がAさんの目と歯を痛めつけると、今度はAさんが、私の目と歯だけでなく、口も痛めつけたくなる・・・、これが罪深い私たちの復讐心です。とどまるところを知らず、どんどんエスカレートしていきます。しかし、上記のような「同害報復法」があるゆえに報復のエスカレートを食い止めることができるのです。
けれども皮肉なのは、古くからこの「同害報復法」を打ち立てていたチグリス・ユーフラテス川地域、イスラエルの地域が今もこの問題、課題を抱え、紀元前にまで遡ることのできる領土問題ゆえに、今も復讐に復讐が重ねられていることです。神さまは、このような罪深い私たちが、復讐の連鎖から抜け出せるように、ひとり子イエスさまをこの世に遣わされ、十字架の死による神さまの赦しを私たちに示してくださいました。ですから私たちも、イエスさまの十字架上のことばである「父よ。彼らを お赦しください 。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23章34節)を思い出しつつ、互いに復讐し合う負の連鎖を断ち切り、互いに赦し合い、互いに愛し合う歩みを、今週も続けていきましょう。 (吉持日輪生牧師)
上記のような法律を「同害報復法」と呼びます。「目には目。歯には歯。」のことばで有名な法律は、紀元前18世紀のハムラビ法典です。この法典は、上記聖書箇所の時代、つまりモーセが出エジプトをなした時代より約300年前のものと言われています。そのため旧約聖書のこの「同害報復法」は、ハムラビ法典に影響を受けたと考えられたり、説明されたりしますが、神さまに似せて造られた人間の中に神さまが授けて下さった、人間社会悪化を避ける最低限の法律と言えます。この法律を守るならば、歴史の中で何度も繰り返され、現代社会でも見られる復讐のエスカレートを避けることができます。例えばAさんが私の目を痛めつけます。そうすると罪深い私は、Aさんの目だけでなく歯も痛めつけたくなります。そして私がAさんの目と歯を痛めつけると、今度はAさんが、私の目と歯だけでなく、口も痛めつけたくなる・・・、これが罪深い私たちの復讐心です。とどまるところを知らず、どんどんエスカレートしていきます。しかし、上記のような「同害報復法」があるゆえに報復のエスカレートを食い止めることができるのです。
けれども皮肉なのは、古くからこの「同害報復法」を打ち立てていたチグリス・ユーフラテス川地域、イスラエルの地域が今もこの問題、課題を抱え、紀元前にまで遡ることのできる領土問題ゆえに、今も復讐に復讐が重ねられていることです。神さまは、このような罪深い私たちが、復讐の連鎖から抜け出せるように、ひとり子イエスさまをこの世に遣わされ、十字架の死による神さまの赦しを私たちに示してくださいました。ですから私たちも、イエスさまの十字架上のことばである「父よ。彼らを お赦しください 。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23章34節)を思い出しつつ、互いに復讐し合う負の連鎖を断ち切り、互いに赦し合い、互いに愛し合う歩みを、今週も続けていきましょう。 (吉持日輪生牧師)
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